二章 旅は道連れ、世はぬるい 2


 イヴは、レオンの呟くような声で目を覚ました。
「イヴちゃーん、そろそろ起きてくれないかなぁ。腕疲れちゃったよー」
「ここはどこよ!」
 多少寝ぼけているのか、イヴはそう言って周囲を見回した。
「俺の腕の中」
「そう言うことを聞いてるんじゃないの」
 イヴはそう言ってレオンから飛び降りた。
 見回すと、狭い洞窟の中だった。陽光夜草さえ生えておらず、湿った感じがある。昨日から歩いている洞窟から更に細い洞窟に入り込んでいるようだ。
「こんなところに入るなんて言ったらイヴ、怖がりそうだから。だから」
 そう言うレオンを無視してイヴは先立って歩き出した。
「今更どうこう言っても仕方ないから。行こ。道、こっちでいいんだよね」
 イヴの言葉に頷き、レオンも後に従った。
 しばらく歩いていたイヴの耳に、ポタ、ポタ、と言う規則的な音が聞こえてきた。上から水でも、と思って見上げたが、その様子はない。
「レオン、何の音?」
 音の方向に振り返ると、レオンがいた。
「ん? 音って?」
 レオンはそのままイヴの横を通り過ぎる。イヴは鼻に微かに感じた匂いに、レオンの腕を捕まえた。
「何考えてるの!」
「ばれた」
 レオンはそう言ってちらりと舌を出した。
「ばれたじゃない!」
 レオンの右手には黒く染まった布が巻かれており、そこからしずくが滴っていた。
「どうしたのよ、それ!」
 レオンはにこりと微笑を返すだけで何も答えなかった。イヴを振り切り「大丈夫だから」と歩き始めた。
「言わなきゃ帰る」
 イヴはレオンとは逆の方向へ歩き出した。
「なーっ! 言いますよ! 犬みたいなのに噛み付かれただけ。それの傷がちょっと深かっただけだよ」
 イヴはため息をついてレオンの右手を手に取った。
「それであたしのこと抱えてたの? ホント、どうにもならない人。レオンがいきなり連れてきたから、薬持ってないんだからね!」
 イヴはレオンの腕を取ると、巻かれていた布――元々は白かったであろうハンカチをゆっくりとはがした。
「出血量、多いね。あたしのこと抱えてからだね。無茶しないでよ……」
「うん……」
「後々あたしが面倒になってくるから」
 少しいい雰囲気になったところでイヴはそう言ってレオンを切り捨てた。そしてローブのすそを手にすると、引き裂いた。
「あっ」
 驚くレオンに手を伸ばし、ポケットからハンカチを出して傷口にまく。
「痛ひぃ〜」
 レオンの情けない悲鳴が洞窟の中にこだました。
「これぐらい我慢してよね。レオンが悪いんだから」
 イヴはハンカチを更にきつく締め、先ほど破ったローブのすそで腕を吊った。
「涙出ちゃった……ちょっと痛いけど、行きますか」
 レオンは吊られた右腕を軽くさすり、歩き始めた。その後に従ったイヴは、もう一つのことに気がついた。
「そういえばさ、レオン。一つ気になってることがあるんだけど。お金で情報仕入れたってことは、他にも人がいてもおかしくないと思うんだけど」
 その言葉に、レオンの肩が大きく動いてそのまま凍りついた。イヴは腕を組み、辺りを見回した。
「本当のこと、言って」
 イヴはそう言ってレオンの右手を捕まえた。
「言わないと、腕の関節はずしちゃうかも」
 レオンは笑顔を浮かべていたが、その額から頬にかけて一筋汗が流れた。
「言います、言わせてください。退治だよ、退治」
「なんの!」
 思わずイヴはレオンの首を絞めていた。
「わかなんない」
 レオンがへらへらとした笑顔で答えた瞬間、イヴはレオンの頭を殴っていた。
「わかんない、じゃないの! なに考えてるの!」
 レオンは怒鳴られているのにもかかわらず、にこりと微笑んでいた。
「だって、ほっとけないじゃん。人助けだよ。俺、一応ナイトの称号を持ってるわけ。力は人のために使うのが普通でしょ? 王族だからって、上から見下ろしているだけじゃいけないんだよ」
 その笑顔と、意外なまじめさにイヴは黙り込んだ。
「こんなところで止まっててもしょうがないよ。行こう」
 レオンはそう言ってイヴの手を引いた。


 歩き続けているうち、洞窟の天井がいきなり高くなった。辺りは陽光夜草であふれ、光りの花畑のようになっていた。
「わぁ……」
 感嘆の声を上げるイヴの口を、レオンが覆った。
「静かに。起きられるとまずい」
 レオンはそう言って、遠くを指で指した。
 陽光夜草の合間に、巨大な生き物が眠っているのが見えた。一見は灰色の狼のようだが、狼の数倍はあり、頭が二つ。更にその周りには骨が散らばっていた。陽光夜草の一部が赤く輝いているところを見ると、人か獣がそこで食われたことを物語っていた。
「あのさ。どうやらコイツがこの先の村人と、洞窟の中を通る人々を襲うらしいんだ。そのおかげで、近道である洞窟を通る人が減って、村はほとんど孤立状態なんだって。イヴはその辺りに隠れててね」
 レオンはそう言って腕を吊っている布をはずした。
「ちょっ、何考えてるの! 放っておけないからって!」
「平気」
 レオンは右手を振り、狼へと近づいて行った。
「近くで見ると、大きいね」
 レオンは小さく呟くと右手を前に無造作に出した。
「『我が炎にて滅せよ』」
 冷たく言い放つのと同時に、一瞬にして膨れ上がった炎が狼を飲み込んだ。狼は瞬時に目を見開き、飛び起きて四肢を地面に食い込ませた。そして炎に包まれている体を激しく振るわせた。
 レオンは飛び散る炎をアゴをなでて見ていた。
「あら、消されちゃった」
「消されちゃったじゃない! 早くなんとかしないと……たぶん貧血で倒れるわよ!」
 のんきに言うレオンにいらだちながら、イヴは怒鳴った。その怒鳴り声に臆するどころか、レオンはうれしそうに笑った。
「心配してくれてありがと〜! イヴに心配されちゃ心がイタイからさっさと終わらせまーす」
 レオンはそう言って、血が滴るのも気にせず手を素早く動かし始めた。どうやら手の形を決められた手順で動かすことにより音声によって発せられるのとは別の魔法をくみ上げているようだった。
 ふとレオンの素早かった手の動きが止まり、今までのきっちりとした動きから流線形のなだらかなものへと変えた。
「『零豹』」
 曖昧だった流線形が白くにごり、空中から白い豹が生まれ出た。白い豹が大地に降り立った途端、その足元からパキパキと音がし始めた。意思を持っているのか、それともレオンの意思が通じているのか、零豹は軽く勢いをつけて獣に飛びかかった。獣もそれに応じて身を低くして零豹の動きを避けた。
 零豹は素早く身をひるがえし、体制を整える前の獣に再び飛びかかる。一瞬、茂みの中に二つの獣の影が消え、どちらのものともわからぬ威嚇の声が聞こえてきた。
 突然、今まで目をつぶっていたレオンが目を見開いた。そして開いて前方に突き出していた右手をさらに前へと突き出す。
「捕らえた!」
 その声と共に、茂みから獣の首に食らいついた零豹が転がり出てきた。首に食らいつかれ、少し勢いをなくす獣の体に、豹の四肢の爪が深く入り込んでゆくのがわかった。入り込みながら、獣の体を凍らせてゆき、その冷気が離れているイヴの方にまで漂ってきていた。
 レオンは開いていた右手をそのまま強く握りこんだ。途端に零豹の体が弾けた。獣の中に食い込んでいた四肢が弾け、獣の体だったものが周囲にボトボトと重たげな音を立てて散らばった。最後に血だまりの中に獣の頭が落ちた。
 レオンは完璧に獣が四散したことを確認すると、イヴの方に振り向いて笑顔を見せた。
「人助け完了〜!」
 そう言って、そのまま草の中に倒れた。
「レオン!」
 イヴは叫び、レオンの元に駆け寄った。レオンは柔らかく茂る草の上に倒れこみ、ニコニコとしていた。
「いやーちょっと疲れちゃったかなー。しばらく休ませて」
 言いながら左手を力なく振る。イヴは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ばかっ! 帰る、絶対帰るんだから! って寝ないでよ!」
 イヴの目には微かに涙が浮かんでいた。レオンは少し困ったような表情を浮かべ、イヴの頬を左手で触った。イヴの頬をなでながら目をつぶった。
「ま、泣かないでよ。王子だからってすぐ死んだりしないよ。そこまでマヌケじゃない」
 レオンはそう言って目を開けると、起き上がった。そして獣の血だまりを避けながら奥の方へと歩き出した。慌ててイヴも後を追う。
「ちょっ、そっちに道なんてあるの!?」
 イヴの言うとおり、レオンが進む先には暗闇が広がるだけ。陽光夜草の一本でさえ生えていなかった。
「うん、こっちでいいの。獣が住み着く前はここが近道だった。だからこんなにも開けてるんだよ、ここ」
 言われて見れば辺りの洞窟はこの付近だけ人の手で広げられている感じがあった。
「獣が住み着き、村を襲うようになってから村はこの先の出口を塞いだ。出入り口だったからこそ、陽光夜草も旅人がいくら摘み取っても良いように沢山植えてあるんだ……って、本当にあった」
 レオンはそう言って一点を見つめていた。そして見つめる先を指差し、言った。
「ハッタリが本当になるとは思っても見なかったかな。まぁ、多少あるとは聞いてたけど」
 レオンが指差した先には、無造作に山積みされている光物があった。ガラスや鏡をはじめとして、小さな宝石や銀製品、そして高価そうな装飾の施された武器。多少引っかいたような傷があるのは、獣が運んだときについた傷だろう。武器についている血は、もしかすると襲われた旅人のものかも知れない。
「一個二個もらっていっても問題はないでしょ。全部貰ってくのはさすがに貪欲だけど」
 レオンはそう言って宝飾品をいくつかわしづかみしてポケットの中に突っ込んだ。イヴはためらいがちにレオンを見つめる。
「報酬だと思ってさ。正直格安で引き受けちゃったから、割りに合わない分はどうぞご自由にとも言われてるから」
 イヴは言葉に引っかかるものを覚えてレオンを見つめた。レオンはしばらく黙っていたが、ため息をつくと言った。
「正直に言います。この仕事、食事三日分のお金で手を打った。つまりは格安、気持ちだけ受け取っておいただけだから――だから村の人たちは持って行っていいって言ってくれたわけ」
 レオンはそう言うとイヴの首に手を回した。そして殴られるよりも早く飛びのいた。
「それ、イヴに似合うと思う」
 レオンの言葉に、イヴは自分の胸元に目線を落とした。そこには、淡い赤の宝石を守るように翼がデザインされたネックレスがあった。
「あ、ありがとう……って拾い物じゃない!」
 食ってかかるイヴに、レオンは微笑んだ。
「違うよー、れっきとした報酬から生まれたプレゼント。自分の手で稼いだ最初のイヴへのプレゼントだから。受け取ってくれないとちょっと悲しい」
 レオンはそう言うと、目元を潤ませた。ウソ泣きと一目見てわかるものだが、“守ってあげたい王子様”を長年演じてきていたせいか、イヴは何も言い返すことができなかった。
 イヴはしばらく胸に輝くペンダントトップと宝飾品の小山を交互に見ていたが、覚悟を決めたのか指輪の二、三個を失敬した。



[PR]動画