二章 旅は道連れ、世はぬるい 1


 王子とイヴはシュライ国とメルキア国の国境辺りの緑深い山の合間を歩いていた。実際にどこを歩いているか、なぞはイヴはほとんどわかっていなかった。とりあえず王子が言うからその辺りなんだろう、とか中途半端にしか頭になかった。今頭にメインにあるのは、どう王子を言いくるめて城に帰すか、という事だった。
「王子様!」
「いい加減レオンって呼んでよ……さみしい」
 ぼそりと呟いた王子は、振り返らなかった。
「わかった、そうする。うっかり街中で呼んでバカな子、って思われたくないもん」
 イヴは後半は小声で言って王子、レオンの様子を見た。レオンは振り返り、いつもどおり抱きついて、はこなかった。抱きつこうとして動きをとめ、しょんぼりしながら腕を下ろした。
「あのさ。あてもなくふらついててもしょうがないから、トレジャハンターでもしようかな、って思ってるんだ」
 突拍子もないことを言われ、イヴは思わず吹き出した。
「冗談は言わない。これ、禁止事項に追加ね」
「本気だよ。少しぐらいスリルがあったほうがいいからね」
 イヴは「そう言う問題じゃない!」と何度か怒鳴った。怒るイヴに、レオンは頬を軽く膨らませて呟いた。
「ちぇ、つまんないの。せっかくこの間盗賊狩りのおこぼれお宝を取りにいこうと思ったのに」
 イヴはそれを聞いて、耳がぴくりと動いた。数歩先を進んでから足を止め、言った。
「念のため聞くけど、それってどこ?」
 レオンはイヴを通り越してから答えた。
「今歩いている道のちょっと先」
 どうやら遺跡発掘のトレジャーハンティングではなく、盗賊の集めた財宝類を取りにいくようだ。
 イヴはほんの数秒考えてから、悔しそうに言った。
「今回に限り付き合う……」
 レオンはそれを聞くと微笑んだ。
「良かった。そろそろ路銀がつきるところだったんだ」
 その言葉を聞いて、イヴの体から血の気が引いた。考えてしゃべるよりも先に指を突きつけていた。そして指を震わせ、怒鳴る。
「それを先に言いなさいよ!」
 その指の先でレオンはバラを背後に浮かべながら追い討ちをかけた。
「じゃあ、ついでに言っておくね。俺のサイフはあまり当てにしないで。自慢じゃないけど金遣い荒いから」
「偉そうに言うなぁ!」
 イヴはレオンの腰の部分に思いっきり拳を叩き込んでいた。
 それから、イヴは次に立ち寄った宿でも一言もレオンとは口を聞かなかった。
 レオンの泣きそうな表情を背に、イヴはとっとと眠りについた。

 レオンが持ってきた話の場所はまさに自然の驚異だった。
 と、言うのも連なる山々をすべてを洞窟が結びつけていたのだ。
 実際歩いてみるとそこは不思議な空間だった。高い天井の洞窟の中は木々で満たされ、どこからとも無く獣の声や鳥の鳴き声が聞こえてくる。高い天井の洞窟が崩れてしまわないのは、陽光夜草が照らし出す暖かさで育った木々が支えているからだろう。
 陽光夜草は大きな白い釣鐘状の花弁が鈴なりになっており、それが暗闇の中で光ると、とても幻想的な雰囲気をかもし出していた。
 時折山と山の合間に出て、太陽光の下に広がる絶景を目にすることができる。
「ここから先は山が途切れないから、暗いよ」
 レオンはそう言ってイヴの前を歩き始めた。道は多少整備されいて、人が若干通ったような後も見受けられるが、今は獣や鳥の気配しか感じられなかった。
 突然近くで聞こえた鳥の声に、イヴは思わず呟いた。
「レオン……」
 そして知らずのうちにレオンが身にまとっているマントのすそをつかんでいた。その微かな感触に気づいたのか、レオンが振り返った。うつむくイヴの肩を抱いて、レオンは口を開いた。
「もしや、怖いの?」
 それに対する返答はなかったが、態度が肯定していた。レオンは微かに笑うと、生えている陽光夜草の釣鐘のような花を一つ摘み取った。そして指を鳴らす。すると陽光夜草は少し明るく輝くようになった。
「はい、これ。持ってると少しは違うでしょ。それにここから先は陽光夜草しかないから、冷えるし」
 ほんのりと温かみのある光りに、イヴは頷いた。
「ありがとう、ね」
 小さく言ったイヴの礼が聞こえたかどうかは定かではないが、レオンは黙って歩き出した。
 レオンが進む道はどうやら最近は使われていた様子はなく、聞こえてくる鳥の鳴き声もフクロウに限定されているようにも感じられた。


 何時間か歩き続けた頃、イヴの足取りが遅くなった。というのも先ほどからあくびを連発している。どうやら、前夜辺りにレオンが襲ってくる、こないでよく眠れていなかったようである。
 半分寝ながら歩き出したイヴを、レオンは立ち止まって待った。ゆっくり歩いてくるイヴを軽く抱きとめた。「触らないで」との反応を予測していたであろうレオンは、一瞬首をかしげ、イヴの顔をのぞき込んだ。
 寄りかかるものがあって安心したのか、すっかり眠り込んでいるイヴの表情がそこにあった。
 レオンはしばらくイヴの髪をなでていたが、イヴを抱き上げた。手に握っている陽光夜草をイヴの体の上に一度置いた。そして、イヴの腕を自分の首に巻きつかせた。
「ちょっと鍾乳洞チックになってるけど……まぁ大丈夫でしょ」
 レオンはポケットの中に入っていた地図を一度見て、イヴを抱えたまま少し狭い道へと入っていった。
 だが、いつまでも人を抱きかかえたまま歩けるはずもなく、一時間と経たずにレオンは道の端にイヴを降ろした。
「仕方ないね、休憩としますか。あんまり狭いんじゃ飛行魔法も使えないからね」
 レオンは指を三度鳴らした。するとじゅうたんが現れ、イヴの体をふわりと浮かしたかと思うと下に入り込んだ。レオンはそのじゅうたんの上に転がった。
 さして広くないじゅうたんの上。レオンがふと真顔になった。
 イヴの少し開いた唇の辺りをじっとみつめ、呟く。
「うぅ、誘われている気がしてならない……キスしたい、キスしてぇ〜」
 王子という身分も忘れ、ほとんど若く下賎な男と一緒の行動をとろうとしていた。ぐっと顔を近づけ……
「できないのはなぜ!」
 そう悔しそうに叫んで再びじゅうたんの上に転がった。その拍子にイヴが目を覚ました。
「なっ、何してんのこれっ!」
「えっと」
 言葉に詰まるレオンの背後の茂みで、何かが音を立てた。
「きゃっ」
 茂みからギラリと光りを放った双眸に、イヴは悲鳴を上げてレオンの胸に顔を押し付けた。茂みからは小さなタヌキがゆっくりと這い出てきて、レオンとイヴの横を通り過ぎていった。
 レオンは大きくなりそうな笑いをこらえながら言った。
「害はないよ。ただのタヌキ。イヴって魔女のくせに怖がりなんだね。本当はみんなを怖がらせなきゃいけない役なのに」
 イヴは慌ててレオンを突き飛ばして離れると、頬を膨らませた。
「ほっといて! って、騙されないから! さっき聞こえたからね、キスがどうとかって。約束破ったんだから、あたし、帰るから!」
 イヴはそう言って立ち上がろうとするが。力強く腕を引っ張られた。
「約束、まだ破ってない。破るのは、これから」
 低く甘く、それでいて少し脅しつけるような声色。
「い、嫌だってば……」
 今まで聴いたことのないような男の声に、イヴの抵抗もいささか弱々しい。
 何かを感じ取った途端、イヴは泣き出した。それにはさすがにレオンも慌てたらしい。
 飛び退るように離れ、土下座を始めた。
「ごめん、冗談だから! だから、泣くのだけは勘弁して」
 何度も何度も頭を下げるレオンを見て、落ち着いたのかイヴはため息をついて涙をぬぐった。
「変態」
 そう一言告げてイヴは起き上がった。そして辺りを見回し、時計を見る。
「今日はここで野宿?」
 レオンは地面に額をつけたまま答えた。
「そのつもり、です」
 イヴはため息をつくと、持っていたカバンからパンと水筒を取り出した。
「宿のおかみさんがね、入れてくれたんだ、お茶。それと途中で買ったパンでいい? 夕食」
「ええ、ええ、もうイヴが許してくれるならなんでもっ」
 レオンはそう言って、驚いた様子で顔を上げた。
「どしたの?」
「だ、だって殴られるかと思ってたから」
 それを聞いて、イヴは思い出したようにレオンの頭を軽く叩いた。
「とりあえずこれで許してあげる」
 イヴの言葉を聞いた途端、レオンはニコニコとしながら立ち上がった。あまりのわかりやすさに、イヴは思わず笑いをこぼしていた。
 よほどうれしかったのか、レオンは腕を振るい、じゅうたんの上に宮廷で出されるよな食事を出現させた。そして貴族のように丁寧なお辞儀をする。
「どうぞお嬢様、お召し上がりください」
「やっぱレオンって……魔法の天才? それともあたしがダメなだけ?」
 能力、才能の差に少ししょげながらも、イヴは料理を口に運んだ。その瞬間、今言っていたことを忘れた。
「おいしい! いつもレオンってばこういう料理食べてるのっ!?」
「うーん、まぁね。料理長がどうしてもこったのを作りたがる人らしくてね。俺もキングも特にこだわりないから、って言ってもね」
 レオンはそう言って苦笑いを浮かべた。
「へー。だからレオンはパンと牛乳とかだけでも文句言わないんだ」
 少し関心したようにイヴが言った。
「まぁね。どっちかってーと俺は魔女の夜会とかに立ち並ぶ夜店の方が好き。意外とおいしいからさぁ」
 そう答えながら、レオンも食事にありついた。
 食事を終え、眠気も誘ってきたところでイヴは懲りないレオンをにらんだ。
「ねね、キスしていい?」
 子供がねだるようなセリフだが、イヴはにらんだままだった。にらむ理由も一応あった。
「両手封じておいて何言ってるの」
 そのとおり、拳を握っているイヴの両腕はレオンが捕まえていた。
「あう。これは本能的に、かな。毎回殴られるとやっぱり痛い」
 レオンは言いながらゆっくりと腕を放した。そして、イヴが油断した瞬間を狙って、唇に軽く唇で触れた。
「今のは、オヤスミのキス。本当はハグもしたいけど、イヴに殴られちゃたまらないから」
 レオンはそう言うと、指を鳴らして残った食事をすべて消した。
 軽く浮いているじゅうたんに横になると「これ、一枚しかないから」と自分の横に来るように促す。
「だいじょーぶ、こんな森の中じゃ何もしないって。それに、このじゅうたん意外と万能でね。落下防止に外敵からの保護もしてくれるんだよー」
 と二度三度と同じ説明をして、どうにかイヴを隣に座らせた。
 イヴが隣に座ってからしばらくすると、今度は自分の腕に頭を乗せるように言ってきた。
「ほらー、枕ないし、寄り添った方が暖かいってー」
 だんだん子供になってゆくレオンにイヴは根負けしたのと、どうしようもない眠気に負け、レオンの横へころりと横になった。一瞬寂しそうな表情をしたものの、イヴを抱き込むようにして向かい合わせになった。
「ゴメン、俺こっち向きで寝るのがクセなんだ」
 イヴが何か言う前にレオンが先に言った。その上スースーと寝息まで立て始めた。
 タヌキ寝入り、であることはわかっていたがこれ以上の眠気に勝てなくなったのか、イヴは目をつぶった。
 レオンの体温は暖かく、胸の心音はゆっくりで心地よかった。少し怖かった鳥の鳴き声も、聞こえてこない。
「不思議……」
 イヴは一言呟くと、深い眠りへと落ちていった。



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