二章 旅は道連れ、世はぬるい 3
歩き出して数分も経たぬうちに、目の前に不自然に崩れた岩が居座っているのに出くわした。レオンはそれを見て、困ったように頭をかいた。
「ありゃりゃ。もう一難関ありましたかー。あんまり体力魔力が残ってないからちょっと厳しいかなぁ」
レオンはそう言って巨大な岩をなでた。イヴも同じように岩をなでながらレオンに尋ねた。
「ねぇ、もしかしてこの先が出口ってこと?」
レオンはうなづいた。イヴはしばらく人差し指を唇に当てて考えている様子を見せた。
「うーん、これぐらいならもしかすると」
そう言いながら岩の表面を軽くなでた。そして二、三歩下がる。
「レオン、ちょっと下がって」
レオンは言われたとおり数歩下がった。と、次の瞬間イヴは一歩右足を引いたかと思うと――振り上げた。振りあがったカカトはそのまま岩に刺さり、砕いた。
呆然とするレオンの目の前で、岩がボロボロと崩れて行った。
「え、えと……」
「あ、岩ってね小さなヒビが入っているところからちょっとした力を内部に流し込むと簡単に砕けるの」
イヴはそう言って初めて微笑んだ。そして、差し込んでくる光りの輪の中にうれしそうに飛び出していった。
レオンは飛び散っている岩の破片を見て、しばらく口が開いたままだった。しばらくして、首を左右に激しく振って正気に戻り、イヴの後を慌てて追いかけた。
十分も歩かないうちに、村が見えてきた。少し寂れた雰囲気の漂う村の門には一人の老人が杖にアゴを乗せてじっとこちらの方を見ていた。が、突如杖が地面に転がった。老人の目がゆっくりと大きくなってゆき、勢い良く立ち上がって杖が必要ないのではと思えるぐらい素早く近づいてきた。その勢いに、イヴは思わず一歩ひいた。
「ももももしや、そこから出てきたということは!」
老人のうわずった大声が降り注いで来た。レオンはそれに笑顔で応えた。
「とりあえず、宿用意してもらってもいいかな。少し休みたい」
そう言うと、老人は杖を拾ってあたふたと村に向けて走り出した。
「あのおじいさん、杖いらないんじゃないかな?」
イヴはそう言って老人の後を見送った。レオンはゆっくりと村に向かい、イヴもその後に続いた。
村の中では人々が顔をのぞかせていた。老人は一つの家の前に飛び込んで行った。そして一度顔を出してイヴとレオンを確認したところを見るとついて来いと言っているようだった。それに従って宿の中に入った。
宿の中はほんのり薄暗く、カウンターごしで老人と受付嬢が話をしていた。
老人はすぐに振り返ってまた慌てた様子で宿から出て行った。代わりにカウンターに居た受付嬢がレオンの方へと向かってきた。レオンは少し大人びた笑顔を浮かべ、受付嬢を迎えた。
「お部屋へご案内させていただきます。どうぞこちらへ」
いささか丁寧すぎるような案内嬢の態度に、イヴは複雑そうな表情を浮かべた。腕を組み、レオンの背中をにらみながら呟いた。
「まさか自分の身分明かしたりとかしてないでしょうね……」
「イヴ、行くよ?」
ふとレオンが振り返り、そう言った。イヴは慌ててレオンと案内嬢の後を追った。
案内された部屋は、とても広くて豪華だった。深い緑色の壁紙には細かい模様が描かれており、床に敷かれているジュウタンは落ち着いた朱色をしていた。部屋の中央には大きなソファーとテーブルのセットがあり、周囲にベッドは見当たらない。壁際にドアがあるところを見ると、別の部屋になっているのだろう。
「それでは、ごゆっくりどうぞ。後ほどお飲み物でもお持ちします」
案内嬢はそう言うと、レオンにキーを渡して出て行った。
イヴは腕を組み、ソファーにため息と共に腰掛けたレオンをにらんだ。
「なんでこんな高そうな部屋とるかな! お金ないのに!」
レオンは右手に巻かれている布をしかめっ面でゆっくりはがし始めた。
「大丈夫、今回に限りタダだから。倒したお礼ってやつかな」
レオンはそう言って息を吸い込んだ。言葉の合い間合い間に「いつつ……」と入れるところを見ると怪我の調子はよくないようだった。
イヴが近寄って怪我を見ようとしたとき、ドアが激しくノックされた。
「あ、はい」
イヴは返事をすると、ドアの方へと行き、開けた。すると中に先ほどの老人と四十代後半ともなろう男が入ってきた。身なりの良さから村の中でも裕福な立場にいるものなのだろう。
「バレンタイン殿はどちらにいらっしゃられますか」
そうたずねられ、イヴは部屋の奥を指差した。
「失礼しますね、お嬢さん」
男はそう言って老人とレオンの方へと近づいた。レオンはソファーから立ち上がった。
男は右手を差し出し、握手を求めた。レオンはそれに答え、一瞬顔に苦悩を浮かべた。
「このたびは、本当にありがとうございました」
男はそう言うと、頭を深々と下げた。
「頭なんか下げないでくださいよ。元々あの道を通るのが近道だったし、そのついでだったんですから」
レオンはそう言って男の頭を上げさせようとするが、男は一向に頭を上げなかった。そのままの姿勢で話し出した。
「このような小さな村の頼みごとを聞いていただいて……何度も依頼したせいで満足な報酬も払えず、申し訳ない!」
レオンはソファーに座ると、言った。
「いいって。その代わり、あそこにあった物をいくつか貰っておいたから。それさえ目をつぶってくれれば問題ないし。あ、あとちょっとおいしい食事でも用意してくれたらそれで。とりあえず今日はゆっくりしたいな」
レオンはわざとらしくため息をついた。男は顔を上げると、また少し頭を下げた。
「これは申し訳ない。すぐに用意させます。本日はごゆっくりおくつろぎください」
男はそう言うと、部屋を出て行った。その後に先ほどの案内嬢が入ってきて水などの飲み物を数種置いてすぐに出て行った。
「イヴ、鍵締めといて。おちおち治療していられないみたいだから」
レオンはそう言って、再び袖をまくって怪我を見つめた。イヴは言われたとおり部屋に鍵をかけ、ため息をついた。
「ずいぶんと感謝されちゃってるね。さっきの人? 仕事頼んできたのって」
イヴの問いに、レオンはうなずいた。
「そうだね。実際には村長の使いの人だけど。彼もこれで戻ってこれるだろうね」
レオンはそう言って窓の外を見つめ、穏やかに笑った。イヴはその様子をじっと見つめていたが、ふと言葉を漏らした。
「レオン、見直した」
途端、レオンが振り向いた。その瞳は大きく、少し潤んでいた。
「初めてほめてもらった!」
そう言うと、嬉しさからかレオンの頬に少し赤みが差した。イヴは少しそっけなく言った。
「そりゃ、あたしだってほめる事ぐらいあります。なんか自分のためにしか生きていない感じがしてたから。それより、傷は大丈夫?」
それを聞くと、レオンはめくり上げていた袖を元に戻した。
「ん、大丈夫。思ったより傷口は小さかったから。いっぱい出ているように見えて案外少ないもんだね」
レオンはそう言ってイヴから目を反らした。
「見せなさい」
イヴはそう言ってレオンの前に回りこんだ。
「平気だよ」
そう言ったレオンの顔にさっきまであった赤みがスッと引いてゆく。イヴはムッとしてレオンの右腕を無理やりつかんだ。
「うぁっ」
短く悲鳴を上げてレオンはソファーにあったクッションに顔を埋めた。イヴは容赦なく腕をまくり上げ、息を呑んだ。
「洞窟が暗かったから見落とした……そんな平気そうな顔してて本当に平気なの!?」
レオンの肘から下の部分に爪でえぐったかのような深い傷が三本あった。本当はもっと深かったかも知れない。自分で何度か再生魔法を行ったのか、傷口の一本は半分閉じている。
「ば、ばかっ! 術士呼んでくるから!」
駆け出そうとするイヴのローブの裾を握ってレオンが言った。
「大丈夫、大丈夫だから……」
「大丈夫じゃない! あんだけ魔術使ってるんだからだめっ!」
イヴはレオンに怒鳴り声を浴びせると、部屋を飛び出して行った。部屋に一人残されたレオンは、自分の傷口をのぞきこんだ。
「さすがに……千切れるほどえぐられてたら治り遅いか」
レオンは目をつぶったかと思うと、そのままソファーに倒れた。
「俺ってイヴの言うとおりバカかも……」
言ったその後ピクリとも動かず、完全に気を失ったようだった。
その数分後、イヴは医療術士を連れて部屋に飛び込んできた。
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