一章 猫かぶり王子と悪い魔女志望 7


 その日、イヴは今までと違った感覚で目を覚ました。ベッドが揺れているような、ちょっと窮屈な感じ。
「って、ここはどこよクソ王子!」
 イヴは思わず本音で怒鳴り散らしていた。
「バレンタイン国のお隣さん。もう王子もクソもないから今度こそ名前で呼んでね」
 そう言う王子の顔が非常に近い。
「顔をむやみに近づけるなっ!」
 イヴは怒ってみるが、王子は特に気にした様子もなく鼻と鼻をくっつけた。
「れーおーん、って呼んで」
 バキッ、と何かが折れるような、そんな軽い音が響いた。
「鼻をつくなっ!」
 イヴはそう言って王子の腕から飛び降りた。
 王子は涙目で鼻を押さえた。
「いったぁ〜鼻殴ることないじゃん……これ以上顔崩れちゃったらどうするの」
 少し崩れても平気そうだが、イヴは走り出した。
「帰る」
 そういい残して。
 だが、素早く腕を捕まれ、引き戻された。
「帰らないで! お願い」
 切なそうな声に、泣きそうに潤みきった瞳。目はキラキラと輝いて、目じりにたまった涙は零れ落ちそうだった。
 どうやら、子犬のような甘えた目も王子の得意技のようだ。それが効いたのか、イヴはため息をつくと体から力を抜いた。
「わかった。でも、何でこんなことしたの? ってか、そもそも寝てたんじゃ? それと、ここはどこよ!」
 イヴが所在について怒鳴ったのもわからなくはない。何せ、森の真っ只中。どう見てもイヴの城の周囲とは違った森だ。
 王子は近くにあった倒木に腰掛けると、口を開いた。
「シュライ国の森」
「は? はい?」
 イヴは軽く首をかしげた。そして三秒後。
「って、何国境越えられちゃってるのっ!?」
 普通はそれなりの書類がなければ通れないものだ。それに、イヴを抱きかかえて国境を越えられるとは思えない。そんなに怪しい人物を追求しないわけはないだろう。
 王子は簡単に答えた。
「俺、魔法使いだから。別に方法なんていくらでも」
「そっか……って何考えてるの!!」
 怒るイヴを気にもせず、王子は話を続けた。
「俺の国での立場は」
 唐突な質問に、イヴは少し困惑したが、王子の表情がいつもより真面目なのに気づいたのだろう。姿勢を正しくすると、呟いた。
「第一王子」
 イヴの答えに、王子は深くうなずいた。ふと指を一本立てたかと思うと、再び質問を繰り出した。
「その名称につきものなものと言えば」
 イヴは首をかしげた。王子は何も言わずに、イヴを見つめているだけだった。
「そこまではわかんない」
 王子はため息をつくと答えた。
「命を狙われてるってことだよ。俺のオヤジもどうにも女に甘いせいで」
「少なくとも王子様もその血を受け継いでいることだけは確かよね。って、ほかにも子供がいるわけ?」
 王子は特に嫌がる様子を見せることもなく、うなずいた。
「五人。それぞれ妾に産ませた子。カーソンもその一人で……アイツもアイツの母親もそんな悪い人じゃないから同じ城内にいるけど。他には城にたまに来るヤツがいて。そいつは俺にまで手を出す――俺は手を出してないからね。安心して」
「そぉゆう問題ぢゃない」
 イヴはそう言って手を軽く左右に振った。
「でも、それならわざわざ私のところに転がり込まなくてもいいじゃない。他にも女の子はいるんだし」
 イヴはそう言って落ち着きをなくしたように歩き回った。
「それは、好きだから。どうせなら好きな人と旅した方がいいでしょ」
 王子はそう言って微笑み、イヴは真っ青になった。
「ちょっと待った! 旅って何!?」
 パニックになりかけるイヴに、王子は再び子犬目線で戦った。その攻防はわずか数秒で終わり、イヴは冷静を取り戻した。指を王子に突きつけると言った。
「一緒にいてあげる。でも、約束が三つ!」
 指を三つにして王子に突きつける。
「一、一応あなたは王子なんだから、身内に何かあったらすぐ帰ること。二、あなたが王座についた時には私を絶対に元の家に住まわせてくれること!」
 王子がふと手を上げた。
「二番目は聞きたくない」
 王子がそう言った途端、イヴはくるりと向きを変えた。
「帰る。話はなかったことに」
 王子は素早くイヴのマントのスソをつかんだ。
「ウソです、冗談です!」
 イヴはスソを払って王子の手を振り解き、咳払いをして指をビシリと突きつけた。
「三つ目! 夜這いするな!!」
 それを聞いた途端、王子は悲しさの絶望、といった表情になった。というか、泣いていた。
「そ、それは……」
 泣くところが間違っている、とイヴは心の中で呟いていたに違いない。そこで気を許すことなく、イヴは一気に言い放った。
「以上のことが守れなければ私はすぐにでも家に帰ります! 他にも私の体にむやみに触れない、押し倒さない、私の困るようなことは絶対言わない! それから……」
 イヴは際限なく増えてゆく禁止事項の合間を縫って、王子が悲しそうに言った。
「俺って、そんなに信用ないのかな……でも、それさえ守ればいいんだよね」
 王子は影のある微笑を浮かべた。イヴはそれを見て「勝った」とばかりに拳を握り締めた。
 しかし、イヴはまだ甘かった。この王子がどんなに厄介であるかまだ知らなかったのだ。



[PR]動画