一章 猫かぶり王子と悪い魔女志望 6


 それから数日後の出来事だった。時刻は深夜ともなり、イヴがいる寝室の中にふくろうの鳴き声が聞こえてきていた。その鳴き声が聞こえてくる窓から、声がした。
「はろー、イヴ。どでかいことやらかしただって? 王子様さらったとか」
 声の持ち主は、二階の窓からイヴの寝室に入り込んできた。
 服装は黒づくめ。上に羽織った黒いロングのマントが魔女らしいが、イヴのような田舎くさい魔女の雰囲気はなかった。
 中は真っ赤なミニのワンピース。腰まで届くような金髪はまとめることなく、カールさせている。真っ赤なミニの裾からのぞく足は白くて長い。張り出した胸には赤いバラのタトゥーが誘うように見え隠れする。
「アネッサ……」
 イヴはそう呼んでため息をついた。
「アリトも一緒なんだけど、いい?」
 そう言ったアネッサの背後から、赤毛で褐色肌の青年がじゅうたんごと入ってきた。
 アリトと呼ばれた青年は表情ひとつ変えず言った。
「お久しぶり、イヴ。男を、王子をさらったんだって?」
「アネッサ、アリハトール……お願い、あいつを叩き出して!」
 イヴはそう言うと、アネッサに抱きついた。
 アネッサとアリトはお互いに顔を見合わせ、ついでイヴを見た。
 アネッサはイヴの背中をなでながら言った。
「どうしたの? あたしに泣きつくなんて超珍しいじゃない。つか、まだいるの?」
 アネッサの言葉に、イヴは何度も頷いた。
「追い出してあげようか? どうせわがままなヤツなんだろ?」
 アリトは不機嫌そうに言った。イヴは潤んだ目で見つめて、これまた何度も頷いた。
「アリト、お願いそうしてぇ〜〜」
 イヴがへたり込むと、アリトは軽く頷いた。
 アネッサは事情を把握するためか、イヴをベッドに座らせ、その手に魔法で紅茶を出した。
 イヴに紅茶を勧めて落ち着かせると、アネッサは言った。
「で、今まで何があったのさ?」
 そう言われ、イヴが口を開こうとした瞬間、ドアが乱暴に開いた。
「はじめまして、私がさらわれてきた王子レオンです」
 穏やかな言葉とは裏腹に、王子はドアを蹴り開けていた。空中で足が止まっている。そのまま足を振り下ろし、大またでアリトに近づいた。そして、握手をするためか手を差し出す。
 アリトは王子の手を不愛想に握り返した。そのまま二人は凍りついたように動かなくなった。よく見ると、二人の手は何気に赤くなっていた。
 そのまま進展がないのに気づいた、イヴはアネッサに振り返りながら言った。
「これを、何とかしてほしいの……って、アネッサ? 聞いてる?」
 しかし、アネッサからは返答がなかった。それどころか、王子に見とれているようにも見える。
「かっこいいじゃない……欲しい」
 多少過激な発言ではあるが、身奇麗でしかも金持ちときたら、魔女としては落とし甲斐のある対象かも知れない。手に入れれば魔女として最高の名誉を得ることも可能だが……
「もっしもーし。アネッサ?」
 イヴの問いかけに、今度は鋭く反応した。イヴの手を握って上下に激しく振って答えた。
「協力するわ。でもその代わりに王子をもらう。それでいいわね!」
 とりあえず、イヴにとっては好都合の条件のようだ。手と同様、激しく首を上下に振る。
 アネッサは何か思いついたのか、アリトの耳を引っ張って王子から引き離した。
「帰るわよ! お邪魔しました!」
 アネッサはアリトが乗っていたじゅうたんを広げると、乗り込み、そのまま窓から出て行った。
 イヴは慌てて窓に駆け寄り、夜空に向かって叫んだ。
「アネッサ〜! お願いだからコレも一緒に連れてって!」
 イヴの背後で王子は手を振りながら言った。
「コレとは失礼な。俺は一応王子様だぞ」
 イヴはその声に肩を震わせ、ぎこちなく振り返った。だが、振り返るよりも先に王子の腕が背後から回されていた。
「俺はこんなにもイヴのことが好きなのに。わかってくれないのかな」
 イヴの耳に直接語りかけるような感じに、思わずイヴの力が抜けかける。その力が抜けたのを利用したのか、イヴは王子の腕から素早く抜け出すとドアまで押し出す。
「もう寝ます。出て行ってください」
「一緒に寝よ」
 間髪入れずに王子が言うところを見ると、ここ数日同じことが繰り返されているに違いない。
 イヴはため息をつき、これまた毎日言っているであろうセリフを言った。
「二十歳を過ぎた男が何で誰かと一緒じゃないと眠れないのよ!?」
 そして、王子の目の前で乱暴にドアを閉めた。
 王子はドアの前でくすくすと笑うと、その場から離れた。

 朝。いつもと同じようにどんよりとした顔でイヴは目を覚ました。と言うより、一睡もしていないようにも見える。目の下に微かにクマができていた。ベッドには王子の寝顔がある。つまり、ほんの少しうたた寝した隙に潜り込んできたようだ。下手に起こそうものなら体に絡み付いてくると言った寝起きの悪さを激しく示してくる。寝顔は確かに某国の白雪姫ばりなのだが。
 イヴがにらむようにして王子の寝顔を見つめていると、定刻になったのか、王子はパッチリと目を覚ました。
「おはよう。今日は何する?」
 寝起きがここまで爽やかだと、今まで本当に寝ていたのか疑わしいものだが……
「予定がないなら遊ぼうよ」
「いーやーよ」
 イヴは簡単にあしらうと、王子をベッドに残したまま階下へと降りていった。
 そして、朝食も作らずにアトリエに向かうと、いつもの数倍もまじめな表情で薬を調合し始めた。
 数時間かけてようやく完成したのか、イヴは満足げにため息をついた。目の前のグラスに入っている無色の液体を、小さなビンに詰め替える。その小さなビンをポケットに忍ばせ、部屋を出た。そして、そのままキッチンへと直行した。
 時間はすでに夕方で、イヴは早速朝食と昼食と夕食をかねた食事を作り始めた。テーブルの上に、食い散らかした後が残っているのは王子のせいだろう。ある程度食べ物を作る、もしくは魔法で出すことはできても片付けることが頭にないのは、単にだらしないのか、王子と言う職業からなのかはわからないが。
 イヴはシチューを完成させると、皿に盛り、テーブルに座った。皿の一つに先ほどの小ビンの中の液体を混ぜ込ませ、何事もなかったかのようにイヴは先に食べ始めた。王子ならば匂いをかぎつけて、放って置いてもやってくる。
 数分と経たぬうちに王子がやってきて、「いただきまーす」とうれしそうにシチューに手をつけ始めた。
 イヴはそれを見て、テーブルの下で拳を握り、微かに微笑んだ。
 これから遅くとも一時間以内に王子は眠りにつくはずだ。眠りについた王子を城に届けるのが、今度のイヴの計画だった。
 イヴはからになった皿と、ソファーで横になっている王子を見て、ニコニコとしていた。
 イヴは自分の作った薬が効いたことに安心したのか、一度アトリエへと引っ込んだ。
「今度はどこに置いて来るか、よね。あー、魔法のじゅうたん買っておけばよかった!」
 少し声が華やいでいるところを見ると、相当うれしいようだ。
 だが、安心したせいと、昨日の寝不足からかイヴは大きなあくびをし始め「ちょっとだけ休憩」と机にうつぶせになって眠り始めてしまった。



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