一章 猫かぶり王子と悪い魔女志望 5


 日時が変わり、日が高く登って、更に経った頃……
「イヴ、そろそろ奴らがくるんだけど、起きた方がいいんじゃない? 起きないと俺が全部済ませちゃうよ?」
 その言葉と共に、イヴの体が軽く揺すられる。途端にイヴの目がカッと見開いた。
「きゃああああっ! な、なんであたしの部屋にッ」
 少し寝ぼけているようだ。王子はイヴの額をツンと突っつくと、極上の笑顔を浮かべて言った。
「あれ、忘れちゃったの、残念。昨日あんなに愛しあっ……」
 ベキ、と王子の顔面から奇妙な音がした。
「冗談言わないで。で、なんで来るって分かったの?」
 イヴは右の拳をさすりながら問いかけた。それに対し、王子は赤くなった鼻を指でまっすぐに直す仕草をしながら答えた。
「この森全体に俺の術が張り巡らされているから。一定の範囲に人が入ってくると、自動的に感知できる。結界の一種だね。ちなみに入ってきたのは十人に満たない。魔力を携えた者が二名兵士が五名ほど。荷物持ちが三人か。当家の兵士は鎧か剣のどちらかに独特な印を組みこんでいるもんでね」
 王子は言いながら肩を回した。
「全部で八人。甘いねぇ、俺相手に」
 王子の言葉に、イヴの眉がピクリと動いた。素早く手を伸ばし、がっしりと王子を捕まえた。そして、少し睨みつける。
「ちょっと待った! 今、俺相手って言ったでしょっ」
「うん、言った」
 王子は即座に答えた。にこにこと微笑みながら、文字通りバラを浮かべる。
 魔術でぽこぽこと浮かぶバラを避けながら、イヴは目を細めて涙声で行った。。
「素直に帰ってよぉ……」
「そうは言っても、城の連中は魔女を容赦しない。きみはまだ上手く負けることができるほど上位魔女じゃないでしょ。城の連中は魔女のノウハウなんて知らないから、本気で来ると思うし」
 王子は窓際に体を寄せ、そっと外を見る。
 窓の外、庭で整列して待っていたのは五人の兵士に、三人の荷物持ち。
 荷物を持っていた三人は、背から木箱を降ろし、庭に置いた。すぐに後に下がってゆき、一度礼をすると森に消えた。
「俺の命、安いねぇー。それとも父上にバレてるのか」
 王子は一瞬だけ真面目そうな表情を浮かべた。
「もう! さっさと帰ってよ!」
 そう大声をあげたイヴの口を軽く押さえ、背後から抱き寄せた。
「顔出さないで。ここ、破壊されちゃったらまずいよね」
 王子はそう言って目をつぶった。外から兵士の声が聞こえてきた。
「約束のものはこちらに。我が国の王子をお返し願おう。魔女のしきたりは存じている」
 王子は声を聞いて顔を貸すかに歪めた。
「カーソンかよ」
 そう呟いたかと思うと、イヴを抱きかかえたまま呪文を呟いた。イヴの目の前が、瞬時にして変わった。辺りからすると、王子を最初に幽閉した塔の部屋のようだ。
 王子は窓から顔を出し、大きな声を上げた。
「俺の命、安くねぇ?」
「王子!」
 王子の声に、庭にいた兵士が一斉に塔の方へと向かってきた。
「王子、ご無事で」
 王子がカーソンと呼んだ男がかしずいた。
「長居は無用です、帰りますよ」
 そう言って、カーソンは軽く顔を上げた。黒髪の、なかなか凛々しい男だった。少し王子をなだめる感じがあるのは、彼が年上だからか、かなり近い立場にいるのか。
「ヤダ。帰らないもーん。ずっとここにいるつもり。それだけ置いて帰ってよ」
 下にいた一行は一瞬たじろぐも、カーソンは立ちあがり王子を睨みつけた。
「見苦しい真似を」
 どうやら、王子の性格をある程度見ぬいている人物のようだ。だが、他の兵士はそれに気づいていない。一人が進み出て言った。
「王子、貴方は魔法をかけられているだけだ。すぐに解きます!」
 その兵士の声に、一瞬にして緊迫した雰囲気が流れ出した。王子は一度体を引っ込めた。
 クスクスと笑う王子に対し、イヴは眉を寄せて泣きそうな表情になっていた。
「カーソンが来ちゃったのは厳しかったけど――あいつは俺の世間体を気にするからね、助かった」
 王子の言った通り、カーソンは厳しい表情のまま黙りこんでいた。
「とりあえず、もう一芝居打っておきますか」
 言うのと同時に、再び窓から姿を覗かせる。
「帰らない、と言ったのが聞こえなかったのか?」
 先ほどより少し語気が強い。更に、その右手は魔術を組むためか、微かに動いていた。
 兵士らは、王子を穏便に連れ戻さねばならないためか、まだ魔法を放ってくる様子はない。
「王子!!」
「かーえーれ」
 そう返すなり、王子は右手を下に振り降ろした。
 激しい炎が掌から産まれ、兵士らの目の前の空気を焼いた。
「お次はこんなものじゃ済まさないぜ?」
 王子はそう言って、口を歪めて笑った。少し邪悪な笑みに、兵士は一瞬たじろいだ。身分上、王子を傷つけることはできない。
「お願いです、気を静めてください!」
 兵士の必死の説得に、カーソンは右手で頭を抱えていた。腹の中では、ため息をついていることだろう。
 王子は窓の縁に足をかけて言った。
「キングに伝えてくれ。俺はしばらく自分の好きなように過ごすってな。なに、昨日今日の誕生日祝いとでも考えてもらえればいいってね」
 王子は右手を開き、一行に向けた。開いた右の掌を上に向けると、グッと何かを握りしめた。
「えっ……」
 イヴの口から驚きの声が漏れたのも不思議ではない。
 五人の兵士が忽然と消えていたからだ。後には何事もなかったかのように、庭に放置された箱の上に鳥が止まった。
「ひ、人に触れずに飛ばせるなんて……それに、結構大人数……」
 体から血の気が引いてゆくイヴに、王子は満足気な笑顔を浮かべて言った。
「これから毎日一緒に居られるね」
 王子の背後に、パァーッとバラが咲き乱れた。呪われてでもいるのかと思えるほどの魔法の演出に、イヴは後ずさりした。
 確かに、格好も良いし、バラも似合う。だが……
「いっ、いやああああ!!」
 イヴの叫び声が、小さな塔を突きぬけた。



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