一章 猫かぶり王子と悪い魔女志望 3


 王子は勝手に中に入ると、まずは右手に位置する台所に乗りこんだ。そして、イヴが持っているカゴの中からミルクを奪い、飲みだす。
「へぇ、料理器具が置いてあるところを見ると、自分で作ってんだ。えらいえらい。将来いい嫁さんになれるよ。ま、俺の嫁になったらそんなことはしなくて済むけど」
 王子は笑いながらミルクビンをテーブルに置いた。そして、対して位置する部屋へと歩き出した。
 向かいの部屋は工房だった。大きな窓が一つ設置されており、工房というよりリビング向きの部屋だ。
「ちょっ! 勝手に開けて回らないで! 普通はもっとおとなしくしてるもんでしょ〜」
 イヴは、勝手に戸棚を開けて回る王子に半分泣きかけた。
「そりゃ、相手がバーさんの場合だけだよ。こっちがじっとしてないと、相手が探し回るのでぶっ倒れちまう。ま、それは所有している城がデカイ場合だけどさ」
「確かにあたしの城はちっちゃくて……って違う! あんた、何回さらわれてるの!?」
 イヴは王子の引っかかる言動にそう突っ込んだ。
 王子は、薬のビンを軽く振りながら答えた。
「今回で七回目。前回はババァで、前々回は年増のおねーさんだったかなぁ」
 イヴはしばらく口を開けたまま王子の後姿を見つめた。そして、口の中が乾き始めるのを感じて、慌てて口を閉じてから呟いた。
「なんで表沙汰になってないのよ。こんなやつ狙うなんて……あたしって本当にバカ。ちゃんと下調べして、魔女回覧も見ておけば良かった」
 イヴの言った魔女回覧とは――魔女集会のお知らせや、今月の名を上げた魔女などの各種情報が乗っている物である。
 王子は手を左右に振って言った。
「そりゃ、俺が全部逃げ出してるせいだな。わざわざ自分の失態を暴露する奴はいないからね。どこも面白くなかったし、魔女が俺の好みじゃなかった」
 王子はそう言って、椅子に座りこんだ。
「うーっ、どうしよう、コレ……」
 イヴは王子を“コレ”扱い。どうやら頭がいたくなってきたらしく、頭を抱えるイヴ。その間に、王子はテーブルの上に置かれていた紙と羽根ペンのセットを見つけて手に取ると、何か書きはじめた。
「はい、終了。これでいい?」
 王子はそう言って紙をイヴの目の前でちらつかせる。
『これが届いた二日以内に、宝物庫にある金・銀・その他宝石類を献上せよ。日を過ぎれば王子の命はない』
 簡潔すぎる内容な感じを受けるが、一応脅しも入っている文章だった。
「え、あ、オッケーかな」
 イヴは特に何も考えず答えた。
「おっけーが出たところで」
 王子はそう言うと、書いた紙を丸めた。そして、上へと放り投げる。空中に浮いた紙は、淡い光を放ち、形を変えて羽根を震わせた。
「白い鳩、じゃまずいよねぇ。だって、魔女だもん」
 そう言って王子は白い鳩を自分へと呼び寄せた。鳩は、王子の腕に止まると、姿をカラスに変えた。
 王子はカラスを窓に向かって離した。カラスは黒い羽根をまきちらして、飛び去っていった。
「うぅっ、もしかして、もしかしなくても魔力はあたしよりも上……」
「ところで、水浴びしてもいいかな。あの部屋、何かとホコリっぽくて。汗臭いの、嫌っしょ?」
 爽やかな笑顔の上に、なんとも男臭い現実を重ねてくる王子。
「ど、どうぞご勝手に! 外に井戸があるから!」
 イヴのその答えに、王子は唐突に着ていたシャツを脱いだ。そのシャツをイヴに投げ渡す。
「洗濯しておいてね」
 そう言うが早いか、窓から外へと飛び出して行った。手元にシャツを残されたイヴは、怒りを少し頭に浮かべたまま、窓の外から身を乗り出した。
 怒鳴ろうと口を開けたイヴは、驚きの声を上げた。
「うそっ! 水精霊を操ってる!」
 井戸の縁には艶めいたおねーさんが座り、そのしなやかな手から水が、王子へと降り注いでいる。
 王子はイヴの声に振りかえった。
「イヴもどう? 気持ちいーよん」
 無邪気にはしゃぐ(イヴの目にはおバカにはしゃぐ)王子に、イブがため息をついた。
「遠慮しておきま――きゃぁっ」
 イヴの言葉は悲鳴で終わった。そして、頭から水を滴らせる。
 イヴは拳を握り、呟く。
「酷い」
「あはは、水も滴るいい女」
 笑う王子を睨み、イヴは前髪を滴る水を指先で軽く払う。
 イヴがしばらく黙っていたことに、感づいたのか、王子は一言言った。
「ごめん、やりすぎた」
 王子は言いながらイヴの頭をそっと撫でる。
「ホント、かわいい。抱きてー」
 ゴッ、と言う鈍い音が王子から響いた。
「いい加減冗談止めて。お金いらないから帰ってください」
 イヴはきっぱりと言い放ち、睨んだ。腕を振りきり、立ち去ろうとする。
「本気、なんだけどな。あの時会ってから」
 王子はそう言って、イヴの三つ編みを軽く掴んだ。イヴは立ち止まるものの、何も答えない。
「わかった、消えるよ」
 王子はゆっくりと手を離し、ため息をついた。
 イヴの耳から、王子の足音が遠ざかっていく。
「ちょっと待った! 裸で帰る気? それと、なによ、あの時って! なんか初めて会った時、って感じじゃない言い方じゃないの!」
 王子は足を止め、微かに横を向いた。
「話してもしょうがないでしょ。俺のこと、嫌いでしょ」
 王子はそう言って、イヴが持っていたシャツを手に取った。濡れているシャツを軽く絞り、シワを伸ばして体に羽織った。王子は再び背を向けて歩き始めた。
「ちょっと待ちなさいってば。さっきの冗談だから。もう手紙出しちゃったし」
 王子はすぐに戻ってきた。イヴは半ば王子を従えた形で、城の台所へと戻った。
「アイロンかけてあげるから、シャツ脱いで」
 イヴは火を起こし、その上に取っ手のついた鉄の塊を置いた。そして、アイロン用の台を出してきて、王子のシャツに当てる。
「それにしても……あの時って?」
 アイロンをしながらのイヴの質問に、王子は微かに目を細めた。
「ナイショ。どうせ本気にしてもらえないからいいよ」
 ため息混じりにシャツのボタンを止める王子の胸倉に、イヴの腕がねじりこんだ。
「殴って気絶させて“全部コイツの狂言です”って言う手紙貼りつけて送り返そうか? なんですぐ、本気にしてもらえないとか思っちゃうかなー」
 イヴはニコリと微笑んだ。王子は「わかったよ」と呟くと、ダイニングテーブルに座った。
「俺も魔女の端くれ――ま、男は魔法使いだけど。取りあえず魔女集会って言う祭りには良く参加していた」
「ああ、あの集まりね。結構前に男子禁制じゃなくなったから、魔女集会って言うのも変な感じかも。でも、一国の王子がそんなの出てて言いわけ?」
 イヴはクスリと笑って、シャツの襟と袖を綺麗に仕上げた。
「俺は魔力が強いからね。別に誰も疑いはしなかったし、魔法使い特有のスタイルの黒フードで顔を少し覆ってしまえばあの暗さでは仮面をかぶっているのと同じさ」
 王子はそう言ってりんごをかじった。
「それもそうかも」
「で、その魔女集会に、君がいた。それが初めて会った時だよ」
 王子はそう言って微笑む。イヴはその微笑みを無視する形で、シャツの背中の部分にアイロンを滑らせた。
「とてもかわいくて、声をすぐにでもかけたかったんだけれど。どうも君は声をかけてひょいひょい俺に振り向いてくれるようなタイプではなさそうだったからね。色々と小細工したんだよ。とは言っても、確実な事ではなかったけれど。君に、あの本を渡したのは、俺の使い魔だよ」
「なぬっ」
 イヴの表情に怒りが現われたのを見て、王子は慌てて言った。
「俺を狙うと言う確証はなかったけれどさっ。でも、君の顔が俺の目の前にあったときは、正直うれしかった。夢かと思ってた」
 王子はそう言うと、憂いを含んだ笑顔を向けた。そしてすぐに目を伏せて続けた。
「こう言うのを、ヒトメボレって言うんだろうけど……」
 目を伏せた王子の頬は、微かに赤い。
「最初に言っとく。信じられない」
 イヴの言葉に、王子は深くため息をついた。
「やっぱりね。誰もが皆俺を身分で見る。身分で見るから、本当のことを言っても、冗談が得意な優しい王子様、で終わる」
 そう言った王子に、イヴは顔を真っ赤にしながら言った。
「違う、違うの! そっちの信じてないじゃなくて……そんな所で見られてたのが信じられなくて……って、ストーカー!?」
「おいおい。一途な思いをそこまで気持ち悪がらなくても。第一ストーカーだったら、帰り着いて回って、おしかければ良いだけでしょうが。魔女集会に来る場所を考えれば、大体どの辺りかわかるし。魔女集会イコール住んでいる範囲だからね」
 王子の言葉に、イヴは「そっか」と納得していた。
「でも、嘘でもうれしいかな」
 イヴはそう言って照れたように笑った。
「くっ、かわいい」
 王子はそう言うが早いか――
「そこでなんで押し倒すのよ! 締め殺していい?」
 イヴはテーブルに押しつけられながらも王子の首に手をやり、すでに締めていた。
「く、苦しいよー、降参しますよー」
 王子はイヴの横に転がり、コホコホと何度か咳をする。
「はーでも、明日か明後日には帰らなきゃいけないよね。もうちょっと期間長く設定しておけばよかった。ねねね、ここで一緒に暮らしちゃダメかな?」
 王子はテーブルから起きて、睨みつけてくるイヴに、子犬のような目を向けた。
「絶対イヤ。出きれば今日中に換金したいんですケド!」
「換金って……酷いや」
 王子はテーブルの上でふてくされる。
「私も朝食とりたいんですけどっ。どいて」
 と、イヴにどやされ、王子は渋々テーブルから降りた。
 王子はその後フラリと庭に出て、芝生で昼寝を始めた。イヴはその姿を見ながら、工房でため息を着く一日を送った。



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