一章 猫かぶり王子と悪い魔女志望 2


 翌朝、イヴは筋肉痛の体を起こして、円塔へと向かった。
 塔に近づいたとき、上から声が降ってきた。
「もっしー。それって俺のメシ? ここまで運んでくるのって、メンドイっしょ。俺がそっち行くよ」
 塔の窓辺に、王子が座っていた。
「行くって……鍵はしまってます!」
「分かってるって」
 王子はにこやかに答えると、窓縁に足をかけ、身を投げた。
「ご、五階なのに〜!!」
 イヴは悲鳴に近い声を上げる。
 だが、予想に反して、凄惨な状況にはならなかった。王子は何事もなかったようにイヴの目の前に立っていた。
「あなた、何者!?」
 半分パニックに陥りながら詰め寄るイヴを無視して、王子はイヴが持っているカゴを取り上げた。
「お、パンの良いにおい。焼きたて?」
 王子はカゴの中から勝手にパンを取りだす。王子がロールパンを割ると、ほんのり湯気が立ち昇った。それをパクパクッと口に放り込む王子。
「ちょっ、人の話を!」
「おいしいね、これ。手作り?」
 微笑み、そうたずね返す王子に、イヴは思わず答える。
「そう。それと、えっと、焼きリンゴと朝一ミルクを……じゃなくて!」
「なぁに?」
 イヴ、王子の幼く、晴れやかな笑顔の前に口をパクパクさせる。取りあえず深呼吸をして自我を取り戻すと、イヴは問いたずねた。
「あなた、何者?」
 いささか愚問ではあるが、相手のあるべき態度が見られない場合は当然の質問とも言えよう。
「レオン・D・バレンタイン本人。バレンタイン家の第一子であり、唯一の嫡子。そして、次期キング候補――と言うより、キング確実」
 王子は焼きリンゴをつまみながら答えた。
「そ、それは分かってるんだけど……」
「能力値の話?」
 王子の言葉に、イヴは何度も肯いた。
「一応ナイトの称号もってんの、俺。それに伴いそれなりの訓練もしてるからね。でもって、称号はD」
 一重にナイト、と言っても階級は様々である。
 イヴは腕を組み、考えこむ。どうやら頭の中で、頭文字Dの称号を考えているらしい。
 そしてしばらく経ってから、イヴは言った。
「ドラゴン・ナイト?」
 簡単に説明してしまえば、ドラゴンから祝福を受けたナイトの事を言う。だが、そうそう人に心を許すことのないドラゴンから称号を受けたとなると、その名誉と力は絶大なものとなる――はずだが。この王子からそのようなうわさが立ったことはない。
 王子はイヴの答えを聞いて、口を拭い、ニッと笑った。
「あったり〜」
 イヴの顔に驚愕の色が浮かび上がった。
「そんな。見るからに貧弱そうで、バカっぽいあなたが!?」
 守ってあげたい、の裏の言葉に、貧弱でバカっぽいと言う意味合いがあったようだ。
 王子は、気を悪くした様子はないものの、目を細めた。
「言ってくれるねぇ。でも、力は秘めておくものだろ? だから『笑顔の似合う優しい王子さま』でいいんだよ」
 イヴは、ジットリとした目でくねる王子を睨んだ。
「それって、民を欺いてるだけじゃない」
 王子は伸びをしかけていた腕を降ろし、イヴに振り返った。
「しっかり聞こえてるよ。でもまぁ、悪くない欺き方だろう?」
「う、うーん……」
「ま、君に言ってもわからないかな」
 王子は小さく笑ってイヴに手を伸ばす。その手を軽く避けながら、イヴは顔を真っ赤にした。
「なによー、バカにして!」
「あははは〜バカにはしてないよ〜」
 へらーりと笑って、王子さんはイヴが繰り出した拳を避けた。
「してるじゃない!」
「してないって――でさ、君の名前をまだ聞いていないんだけど?」
 王子はそう言うと、イヴを追い詰めるようにして近づいた。
「イヴ。イヴ・スカーレット」
 イヴは素直に答えた。
「イヴ、か。髪が赤いのは、魔女の家名のせいかもね」
 王子はそう言ってイヴを木に押しつけ、片手で逃げ道を塞ぎ、もう一方の手でイヴの三つ編みに触れる。
「良いにおい……」
「もしもーし、王子さま?」
 王子は少し身をかがめ、上目使いでイヴを見つめた。
「俺のことは名前で呼んでいいよ。君には許す」
 王子は言いながら目を細め、イヴに顔を近づける。
「いっ、いやーっ」
 イヴの悲鳴と共に、とても響きのいい音が森の中に木霊した。
「またか。もっと上手に逃げてくれないかな、こっちの身がもたないよ」
 赤くなった頬を触りながら、王子は呟いた。
「冗談なんだったら、しなければいいでしょっ。人のことバカにして!」
「冗談、ではないんだけれどね」
 王子はそう言ってうつむいた。
「ところで、俺んとこの城に要求書とかは出してないの?」
 イヴは「あ」と言ったきり硬直した。
「忘れてたあぁ……王子さま! あなたのせいですからね!」
 それはどちらかと言うとあらかじめ準備していなかったイヴが悪そうだが。
「はいはい、どうせ俺が悪いんですぅ。で、それは俺が書いちゃっていい?」
「はい?」
 王子の突然の申し立てに、イヴは再び固まった。王子はそんなイヴの頭をなでると、更に言った。
「書かせてよ。書かせてくれないと、襲っちゃうぞ」
 イヴは半分やけくそ気味で言った。
「かかかか勝手にして!」
 何とか王子の体を押しのけようとがんばるイヴ。だが、男の力に負ける。くるりと体の向きを変えられ、そのまま城の方へと押されて行く。
「取りあえず、イヴが住んでる城に入れてよ」
 イヴは呆然としたまま王子に連れられて自分の城へと入るのだった。



[PR]動画