一章 猫かぶり王子と悪い魔女志望 1


 森の古城。
 森の奥の少し開けたところに、城はあった。
 とは言っても城自体の面積は狭い。庶民的とは言い難いが、二階建てのかわいらしい城である。城の周りはきれいにガーデニングされており、花々が誇らしげに咲いている。町からとても遠い、と言う難はあるが、環境はとてもよろしい。目覚めに小鳥の鳴き声、夜寝る前には妖精たちのはしゃぐ声が聞こえたりもする。
 そんな城の主はイヴ・スカーレットと言う美人めいた名の少女だった。現在十六歳。赤い髪を三つ編みにして前に垂らしている。美人、とまではいかないが、丸顔でなかなかかわいらしい少女だ。いささか名前負けしているかもしれないが。
 現在イヴの目標はハイレベル・ウィッチ、と言う名称のようだ――と、一階のアトリエの壁に張ってある。
 四方を本と実験道具で埋め尽くされた棚に囲まれ、イヴは本を読んでいた。どうやら魔法書のようだが……
「レベルを上げて国に名前が知られるようになれば、どんどんお金入って来るしー」
 そう呟きながら本を持って背もたれにもたれかかるイヴ。本のタイトルは『あなたもあの有名な魔女になれる!』……
 実は、昨晩の魔女集会にて妙な魔法使いから購入したものだ。
「これだぁ!」
 ガッターン
 イヴが叫んで立ち上がると共に、椅子が派手な音を立てて倒れた。しかし、そんな事には目もくれず、イヴは本に入りこんでいた。
「えーっと、有名になりたいのなら・その3『王子をさらうべし』?」
 どうやら王子という金目の言葉に食いついたようだ。
 イヴはそのページを深く開き、跡をつけた。ちなみに、ページの中身はこんなだった。
『王子をさらうべし。成るべく若く、財産のありそうな者を選ぶべし。第一王妃の長男であるのが一番有望である』
 なかなか核心を得た文である。第一王妃、とつける辺りが優しい本ではないか。
『王子の選定ができた後は、親族に知らせを出す。※ただし、これは上級魔女の場合だけである。下級魔女に至っては何も報せずにさらうのが良いだろう。下手に名を上げようとすれば、仕事がしずらくなる上に、失敗に終わると言う不名誉がついて回る』
 イヴはその一文を読んで少し不満そうに口を尖らせた。多少プライドが引っかかってどうするか悩んでいるようだ。
 さらに文は続く。
『また、誘拐の際に有効な手段は一、眠らせる。ニ、痺れ薬。三、仮死薬(こちらは下級魔女にはお勧めしない)。四、当て身を食らわせ、ひるんだ隙に。また、各薬の作り方は、巻末目録を参照のこと』
 一番最後は、魔女としてどうかと思うが……
『薬などの準備ができたのならば、実行は夜から明け方にかけて行うこと。この時間帯が一番魔女らしいからだ。パーティ等のイベントを狙うのなら、後半がいいだろう。人々も少し気が抜けてきているところだからだ』
「なるほどー、お酒が入ってきて気が緩んでくるからね」
 イヴはそう言って次のページへと進めた。
『さらった後は親族に望みのものを指示する。魔女の力は偉大であるのと、息子王子のための人気度も上がるので、特におとがめはないだろう。※付け加えではあるが、もしも王子の事が気に入ったのであれば、ホレ薬をしこむと良いでしょう。ホレ薬の作り方はページ……』
 イヴは本を置いてきょろきょろと辺りを見まわすと、大きな陶器の器を本の上に置いた。そして、しばらく棚を引っ掻きまわしていた。

     *          *

「ういっし、準備はぐーよ!」
 イヴは左手に杖を、右手にほうきを握りしめて言った。
 時は夜の十時を過ぎた頃、これが街中だったら「うるさい」と一喝されそうな気合のこもった声である。
 イヴは母親が残してくれた上等の黒いローブを羽織る。一応女の子らしく、全身が映る鏡の前で一回りして前後をチェックする。
「うふっ、これぞ正統派!」
 さっきよりは小さな声で言うイヴ。そして、右手を高く振り上げて、ガッツポーズをとる。しかし、右手には相変わらずほうきが握られているわけであり……
「きゃ〜目ん中ゴミ入ったぁ」
 ポロポロと涙を流しながら、イヴはほうきに腰かけ、杖を背中に差し込んで空に浮かび上がった。

※イヴの現在の魔法力、最低中の最低。

     *          *

 イヴの住む、森中のこじんまりとした城とは正反対の城。王宮は白く美しく、王宮の四方を守る円塔も白く高く美しい。その城は光に照らしだされ、夜の闇の中に神々しい光を放っていた。また、城を取り囲む町も、いつもとは違い華やいでいた。大通りに至っては紙吹雪が舞うほどである。
 それもその筈、バレンタイン国の王城では、正妻の第一王子のバースディパーティが開かれていたからだ。
 毎年、王子のバースディには、国の空中庭園のみで宴が開かれていたのだが、今年は王子が成人とあって国をあげてのお祭り騒ぎとなっていた。しかも、バレンタイン国王は女性関係において真面目であったらしく、子は王子一人だけだ。
 その王子の名をレオン・D・バレンタインと言う。町に流れている彼のうわさだが――明るく、優しく、微笑みは天使とまで歌われている。一番最後のうわさは誇張だと思うが。あとは、守ってあげたい王子様、と言うランキングで上位をしめている、らしい。
 その王子は今、城の空中庭園で開かれているパーティの喧騒から離れていた。まだ明るい城下町を、眺めていた。
 王子の横顔は、まだ幼さが残る、男と言うよりは少年に近い雰囲気があった。肌は白く透き通るようで、某国のスノー・ホワイト嬢にも勝るとも劣らぬ肌の美しさだ。その頬はほんのりと赤らみ、体からは酒気が感じられる。
「きゃー! 退いてぇ〜!」
 王子は上から降って来た声に、素早く反応した。特に上を見上げるわけでもなく、身を横に一歩退かせた。
 ドザザザザザザザ、と王子のすぐ近くの茂みに音を立てて何かが突っ込んだ。
 王子は特に驚いた様子もなく、茂みをのぞきこむ。すると、再び音を立てて赤毛を三つ編みにした少女が、頭に葉をつけながら茂みから這い出てきた。魔女見習いのイヴだ。半泣きで目の前にいる王子を見あげる。
 王子は、天使の微笑み(町人談)でイヴを見ると、手を差し伸べた。
「大丈夫? 怪我はない?」
 イヴは王子の手をとり、引っ張り起こされる。そして、服についた葉を払い落としながら王子に話しかけた。
「ありがとう。ところで、レオン・D・バレンタインさんはどこに?」
「私がそうですが……何でしょう」
 微笑みを浮かべた王子に、イヴは深々と頭を下げ――
「ごめんなさい!」
 ドス、と言う鈍い音と共に、王子の腹部に拳を叩きこんだ。その上に『眠り』の魔法をかけ、痺れ薬をしこんだハンカチを口にあてがう。少し慎重すぎる気もしなくもないが……とりあえず全て試しておかないと不安だったようだ。
 イヴは成人男子一人を肩を貸すような形で担ぐ。そして、ほうきにしがみつくようにして、城の空中庭園から下界へとゆっくりと落ちる。
 主役である王子が消えたと判明したのは、朝日が高く昇った後であった。

     *          *

 途中、何度か王子を森中に投げ置きながら、取りあえず城に帰りついたイヴ。最後のもう一がんばりで、城の離れの円塔の頂上の部屋に王子を連れこんだ。
 王子をベッドの上に投げ出すように置いた。イヴは肩を軽く揉みながら、ため息と共に言葉をもらした。
「重かったー」
 そうして、ベッドの上に仰向けになって眠っている王子の顔をのぞきこんだ。
 パーティのためか、きれいに整えられた金髪。それは白い肌に映え、色鮮やかだ。唇は女の子のようにピンク色で、とても柔らかそうだ。
 イヴは思わず自分の赤毛を手にとって頬を膨らます。
「いいなぁ、金髪」
 更に眠っている事に乗じて、イヴは王子の唇に触れた。
「むむっ、男の人のくせにきれい。いいな、きっとおいしいもの食べてるから、こんなにお肌ツヤツヤ……」
 イヴがそう言った途端、王子の瞳がうっすらと開いた。
「そうでもないさ」
 一瞬間があって、イヴは数歩後ろに飛びのいた。
「って、えーっ!?」
 王子は目をぱっちりと開けると、上半身を起こした。その代わり、イヴはへなへなと床に座り込んだ。
「うそぉ……全部効いてない」
「一応、最初のみぞおちの一発は効いたよ」
 王子はそう言ってイヴに微笑みかけ、床に足を降ろして立ちあがろうとする。
「いた……」
 腹部を押さえてうめく王子に、イヴは慌てて駆け寄った。
「ご、ごめんなさい〜。本当は痛い目に合わせる気はなかったんです。でも、私魔法うまくないから」
 王子はイヴの肩を数度叩き、言った。
「いいよ、すぐ治るから。ところで俺をさらってきたって事は、なんかしてほしいんだろ? 年齢いってない王子の役目なんざ、これぐらいなもんだからなぁ。あ、死んでください、以外ね」
 イヴは、ニコニコと笑いながら口調が乱暴な王子を見て、固まった。だが、すぐに気をとり直し、こう答えた。
「お金」
 王子はイヴをベッドに強引に座らせて詰め寄った。
「それだけでいいの? 他には? 王権とかさ」
 イヴは激しく首を左右に振り、答えた。
「お、お金だけでいいの! 後は自分でなんとかするから」
 王子はおどけたように目を丸くすると、スッと手を伸ばしてイヴの頬に触れた。
 イヴの体に、ゾクリとする何かが走った。
 王子の声色が、少し低く色気を含んだものに変わった。
「君は、欲がないんだね」
 王子は手を頬骨を伝わせ、顎へと持ってゆく。少し上を向かせ、まるで品定めでもするようにイヴを見つめる。そして、ゆっくりと顔を近づけ、それと同時に押し倒すように体に詰め寄る。
「ちょッ! やめてっ、あたしはまだ十六っ」
 王子の口元が少し歪んで、イヴの耳元で囁いた。
「平気。俺の範囲内だ。ロリコン、アダルトなんでも来いってんだ」
 どうやらこの王子、外面は相当よろしかったようだ。しかも、城下町に裏のうわさが流れていないところを見ると、城周辺の女にはあまり手を出していないようだ。もしくは顔を隠すのがうまいのかも知れない。
 そうこうしているうちに、王子はイヴの黒いローブの裾から手を忍ばせ、ゆっくりとたくし上げてゆく。
 イヴの額に筋が一本浮かび上がった。
「やめてって――言ってるでしょッ!」
 そう言った途端、ドン、と言う鈍い音がした。その数秒後には、咳こむ音が聞こえた。
「いってぇ……」
 イヴは慌てて起きあがり、裾を直しながら言った。
「ごめんなさい! 力加減が――って、悪いのはあなたです!」
「悪い悪い。でも、こんなに手きびしく跳ね返さなくてもいいんでない? ま、何はともあれ、こうなったのも何かの縁だ。しばらく厄介させてもらうよ。俺、ココで寝てもいいんだろ? じゃ、お休み」
 王子は整えられていた髪をくしゃりと崩すと、ベッドに横になった。そして、大きなあくびを一つし、枕の位置を整え、目をつぶった。
 イヴは重く深いため息をつくと、部屋を出て鍵をかけた。



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