2 烙印 5

 ラスリスが目を開けると、目の前にサファルの寝顔があった。昨日よりは血の気が戻った顔色に安心して、起きあがり――慌てて布団を胸元までかき寄せた。
「おはよん、ラスリん。なかなかまじめそーなお坊ちゃま捕まえてるね」
 とても可愛らしい声で、少しいじわるそうに言う。ベッド脇のデスクの上に、丸顔に大きな瞳の少女が足を組んで座っていた。
 体にピッタリとしたピンクのワンピースを着ている。ワンピースの丈は短く、スカート部分は大きく広がる形になっている。そこからのぞく細くすらりとした足は、顔といい意味で不釣り合いだ。
 ラスリスのことを知っている様子で、いじわるそうに微笑んでいる。 「チィちゃん! どうしたの、発掘手伝い?」
 ラスリスは特に忍びこまれたことは気に止めず、少女にそう尋ねた。
「まぁね。実はあの洞窟、ラスリんと入れ替わりだったの。ナイツが来ちゃったから忠告してあげよかな、と思ったんだけど、ラスリんの姿消えちゃったから……こりゃ捕まったなーと思ってさ。でもラスリんの事だから、捕まっても逃げ出せない筈はないなーと思って、ここで張ってたわけよん」
 少女はそう言いながら眠りこけているサファルの体をうつぶせにした。そして、縄で手首を縛る。その痛みにうめき、サファルがうっすらと目を開けた。
「で、この男の子は? ステキなナイツ様と一晩なり二晩なりを過ごして息統合?」
「ただの腐れ縁」
 少女の質問にラスリスは肩をすくめて答えた。
「誰だ、コレ。俺の趣味じゃない」
 サファルがそう毒づいた途端、少女に殴られた。
「うるさい、ラスリんを好きなようにしておいて何を言うかね、ボクー」
 少女はそう言って、サファルの髪をぐしゃぐしゃにする。
「まだしていない。だが、これからする予定はある」
 サファルは無表情のまま答え、体を仰向けに変えた。
「随分と面白い子じゃない。で、紹介してくれないの? ラスリん」
 少女はそう言いながら、サファルの胸の宝石を指でなぞる。
「えーと、サファル・アーツェンって言う、ナイツのお坊ちゃま。今チィちゃんが触ってる宝石がらみで逆にナイツに追われているみたい。サファル、こちらはチェリスちゃん。私と同じ一匹狼系かな。でも、チィちゃんの方が全然腕前上だけど」
 ラスリスは言いながら、苦笑いを浮かべた。
「どうでもいいが、なぜ俺は縛られる?」
 もっともな質問を述べ、サファルは目を細めてチェリスを見た。チェリスは小悪魔のような可愛らしい笑顔を浮かべると、答えた。
「だって、ラスリんにイケナイ事教えたのかなーっと思って、どう言うことしたか白状してもらうための、え・ん・しゅ・つ」
 チェリスは人差し指をサファルの唇に押しつけた。サファルは顔をずらしてチェリスの人差し指を退けると、答えた。
「胸を執拗に触った。それとキスして強引に事を進めようとしたが、あっさりと断られた。これが事実であり、現実だ。俺は途方もなく寂しい夜を過ごしている」
 率直に、かつ無表情で答えたサファルに、チェリスも無表情になった。チェリスはちらっとラスリスを見て、言った。
「ラスリん、やらせてあげたら? ちょっと可愛そうになってきた」
「絶対ヤ」
 無論、ラスリスは即座にそう答えた。チェリスはサファルの縛られた手を指で突っつきながら、話題を変えた。
「この繊細で綺麗な手に揉まれたの? なかなか気持ち良さそう」
「チィちゃん? なんか、最初の感じと違ってきてるよ?」
 ラスリスは、思わず一歩退いてしまった。
「ラスリん、胸大きいからね。結構揉みがいあったでしょ」
「チィちゃん! 出て行ってよ!」
 ラスリスは顔を真っ赤にして、怒鳴った。チェリスは舌を見せて笑う。
「でさ、本題に入っちゃうけど。この胸に怪しい細工をしているのはなんで? ナイツの新しい技術?」
 チェリスは言いながら、サファルの胸を指で撫で上げる。
「いや、この石に呪われたようだ。その呪いを解こうとしたが、いまだ成功には至っていない――撫でるのなら、左胸がいい。気持ちが良くなる」
 サファルはそう言って目を閉じた。チェリスは、サファルの少し開いた唇を指でなぞり、言った。
「自分にとっても素直なのね、サファルくんて。うふ、ラスリんの変わりにいいことしようか?」
 チェリスの顔がグッとサファルに近づいた。ラスリスは顔を真っ赤にして、チェリスの服を引っ張った。
「ちょっ! チィちゃん!」
 チェリスは満面の笑顔で言った。
「妬いてるの?」
 そして、指先をラスリスにくっつけた。
「違うからっ!」
 ラスリスは更に耳まで赤くして怒鳴り、チェリスの指を払う。チェリスは声を上げて笑うと、ラスリスの髪を撫でた。
「まぁまぁ、落ちついて。で、サファルくんをどうするの? 宝石取りだして売っちゃう? うーん、体と一緒でコレクターに売ったほうがステキかも。ほら、そんなに悪そうな体してないし、顔をまぁ、中の上かな。美形ではないけど、まじめな童顔? そんな感じ? これは結構いい線行くかもよ」
 話しを先に進めてゆくチェリスを、もうラスリスは止めなかった。
 ラスリスはサファルに向き直り、言った。
「これからどうする? ほとぼりがさめるまでここに居るって言うのも手だけど」
「そうか、イケナイ事を知らないのか、おまえは」
 ゴッ、とラスリスの拳とサファルの頭の間で音がした。
「ラスリんが知ってるわけないじゃなーい。あたしがほとんど世話して来たんだもん。いかがわしー事教えるよりも、腕を上げないと。ラスリんは手先は器用だけど、性格はそんなに器用にできてないから」
「チィちゃん……妙なところにだけ口出さないで。話しがこじれるから。サファルも! 呪われているって言う自覚をちゃんと持ってよ! じゃないと私が困る。魔術で頼れるのって、ナイツ連中しかないんだから」
 ラスリスはため息をつき、ベッドに腰かけた。そして、顔を下に向けたまま黙ってしまった。
 チェリスは肩をすくめ、「朝ご飯調達してくるわー」と一言残して出て行った。
 しばしの間、ベッドに仰向けのままだったサファルだが、身を起した。かと思うと、少し移動して、ラスリスの太股に頭を乗せた。
「なんだ、落ちこんでるのか。大丈夫だ、おまえの呪いは俺が何とかして解いてやる。その実験は俺の体ですればいい。そもそも、おまえの体は内部に入りこんでるから、他人にバラさなきゃいい。そうしたら状況は悪くならないだろう?」
「うん、まーね……」
 ラスリスはそう言うと、サファルの髪を撫で始めた。
「サファルってさ、意外と髪の触り心地良いよね。猫みたい」
 ラスリスは寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「おまえの髪もなかなか気持ち良いぞ――悪いが、縄を解いてくれ」
 少し忘れかけていたのか、ラスリスはうなずいて慌ててサファルの縄を解いた。
 サファルは何度か手首をさすり、回して具合を確かめる。それが済むと、ラスリスの髪を撫ではじめた。
 そして、目をつぶりながら言った。
「二、三日厄介になっても大丈夫か? その、金の工面とかあるだろうから」
「何? いきなり低姿勢?」
 ラスリスは柔らかい口調で言い返した。サファルは軽くうなずき、ゴソゴソと自分のポケットを探った。起きあがって自分のポケットに入っていた物をベッドの上に置いた。
 滴型の石に、ピンクゴールドの指輪。他に繊細な銀細工に大きな宝石があしらわれたネックレス。男女どちらがつけてもおかしくないシンプルな滴型のクリスタルピアス。
「サファル、コレって?」
「どれもほどほどの値はつくと思う。多分カバンの中に幾つか入っているはずだ。遺跡発掘の途中で分け前としてもらったものもあるし、元々アーツェン家の物もある。適当に売って金にしてくれ」
 サファルはそう言って、ラスリスの手を取ると、指にピンクゴールドの指輪をはめた。
「へぇ、可愛い色。小花がかわいいね」
 ラスリスは指輪を見つめながら言った。
「それは母の物だった。家の近くの山と川からはゴールドが取れてね。母はそのゴールドにちょっとした混ぜものをして、その色を出していた。売れば高値になると思うが……」
 サファルの声から元気がなくなり、最後はため息となった。
「売らないよ。わかってる、これは売らない。返すね」
 ラスリスはそう言って指輪を外そうとする。
「外れないはずだ」
「へ?」
 サファルの妙な一言に、ラスリスは怪訝そうな表情を浮かべ、指輪を外そうと力を込める。
「な、なんで! だってすんなり入ったもん!」
「呪いだ、呪い」
 サファルはそう言って、笑いだした。
 ラスリスは、自分の体の上の方から血が全て抜けていくのを感じた。なんとか指輪を外そうと躍起になるが、外れる気配はなかった。
 クスクスと声を上げて笑うサファルを睨み、その胸倉を掴む。
「どう言うことよ! 呪いって!」
「冗談だよ。取れないのは、おまえが処女だからだ」
 純情な人間が聞いたら、鼻血を吹いてしまいそうな言葉をさらりと言うサファル。ラスリスは数秒頭が真っ白になった後、今度は血が沸騰し始めた。
「サファルっ!」
 殴りかかるラスリスの拳を受け止め、サファルはラスリスを組み敷いた。
「母がね、俺に言った。清らかなる乙女を望むのなら、その指にコレをはめろ、とな。俺がとても小さい頃の話しだから、良く意味は理解していなかったんだけどな。取りあえず、婚約指輪みたいなもんだろうと思っていただけだ。なかなか面白い代物でね、生娘がはめたら、はめた人間の手でしか取れない。そして、生娘以外の女性がすると、特になんの問題もなく外せるんだよ」
 サファルはラスリスの指から指輪を抜き、手の中に押しつけた。
「何気にサイテイ」
 ラスリスは無愛想に言った。サファルはなんとでも言え、とばかりに追い払うような手ぶりをし、言った。
「俺にとっては誉め言葉だ。別に、どちらでも問題はなかった。ただ、チェリスとやらが信用できる人物か確かめたかっただけだ。そんなもの、適当に説明書でも作って売ってしまえ」
 サファルは、投げやりに言葉を発した。その言い方が何か奥底にあるものを浮かび上がらせていた。
 ラスリスはサファルの複雑な性格と行動に、怒っていいのか呆れていいのか、それとも他の感情を表に出したら良いのか、悩むこととなった。
 しばらく手の中で指輪を転がした後、ネックレス用のチェーンを取り出し、そこに指輪を通した。そして、サファルの首にかけた。
「すねないの。取りあえず、これは売っちゃだめ。わかった?」
「なぜだ。俺には必要ない」
「サファルには必要ないかもしれない。けど、亡くなったお母さんはそう思ってなかったと思うよ。ずっと、一緒に居たいんだよ、サファルと」
 ラスリスはそう言うとカーテンを開けた。明るい日差しを受け、ラスリスは窓を開けた。
 朝の空気が入ってきて、部屋の中を森林と村の匂いで満たす。村はとても静かで、盗賊と言う質を考えると、ようやく寝に入ったとも言えるかもしれない。
 ラスリスはしばらく窓辺で朝の空気を吸った後、振りかえった。
「そう言えば、どんな手で女の子にその指輪はめさせたの? ちょこっと気になっちゃった」
 ラスリスの言葉に、サファルの口の端が微かに釣りあがった。
「妬いてるのか」
「ちっがーう!」
 ラスリスは両手で拳を作って、全否定した。そして、人差し指をサファルに突きつけた。
「クソ真面目な顔をして、どんな手で女を騙すか知りたかっただけよ!」
「それを妬いてるって言うんじゃないの?」
 ドサ、と音がして、部屋の中にチェリスが入ってきた。テーブルの上には大きな紙袋が乗っている。
「ここ、確かに魔法防御はしっかりしてるんだけど、何せ安宿だから防音魔法まではされてないのよね。聞こえちゃった」
 嬉しそうに言うチェリスに、ラスリスはうなだれた。
「もぅ……」
「でさ、その宝石、鑑定に出せば? ここのボスならちゃんとやってくれると思うけど? がめついけど目ききだからさ」
 チェリスはそう言って、持って来た紙袋の中身を開け始めた。二人にリンゴを投げ渡し、椅子に座って先を続ける。
「事によっちゃ、そのまま取りだされちゃう可能性もあるけど。命の保証もないけどね」
 ニコニコと笑顔を浮かべながら言うチェリスに、ラスリスはため息をついた。
「でも、その石がなんなのかが分かれば、呪いを解く手がかりにはなると思うけどね。どこのボスだって、人体から無理矢理取り出した血生臭い石よりもまっとうに取りだされた石の方がいいからね。で、売るなら傷つけずに売る、と。サファるんの体も、宝石も」
 チェリスはそう言うと、サファルのシャツの裾をまくり上げた。
「うふ、お肌がまだぴちぴち。宝石のサイズは約3〜5センチ。楕円型で限りなく透明――まるで磨いた宝石みたい。磨いたの?」
 チェリスの問いに、サファルは首を横に振った。
「磨くもなにも、手に取ってしまおうとしたところ、消えた。気づいたのは風呂に入るときだった」
 チェリスは小声で「鈍い子」と呟くと、ポケットから筒状の物を取りだした。その筒で宝石を包み込んだ。筒にはレンズらしきものが付いており、チェリスはそこから中をのぞいた。
「傷、ないのね、この宝石。本当に石なのかしら――そこのお坊っちゃんが怪訝そうな顔してるから教えてあげる。どんな石にも小さな傷の一つぐらいはあるものなの。ガラスでもないと思うしー。伝説も知ってる人じゃないとだめねぇ。そうなるとここのボスでもだめかなー」
 チェリスの少し騒がしい独り言に、ラスリスは大きく肩を落とした。
「チーちゃん……サファルに服を着させて。体弱ってるらしいから風邪ひかれると、後がウザイ。シャワー浴びてくる」
 ラスリスはバスタオルを一枚肩にかけると、狭そうなシャワールームに入っていった。
 チェリスはサファルのシャツを戻し、耳元で囁いた。
「のぞかないの?」
「そうだな。でも、人に言われて覗くのは主義じゃない」
 顔色、声を何一つ変えることのないサファルを見て、チェリスは思わずサファルの頬をつねってみた。
「そんなに俺が珍しいか」
 頬をつねられても動じないサファルの頭を、チェリスは撫でてから部屋を出た。残ったサファルは、ため息に似たあくびを一つした。





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