2 烙印 4


 二人はナイツギルドを抜け出し、夜の森を走った。長く走るためか、そんなに速度は早くない。だが、出血のあったサファルの速度は落ちてゆくばかりだった。
「休む?」
「いや……休憩だ」
「中途半端な強がりやめなってバ」
 ラスリスは苦笑いをしてサファルをその場に座らせた。
「医療用と言っても、結構深く刺されてたら血が止まらないでしょ。走ってるんだし」
 ラスリスはサファルの服を脱がせた。
「やめろ、余計血が止まらなくなる」
「失敬ねっ、誰もめちゃくちゃな治療魔法なんて使わないわよ」
 ラスリスはそう言ってサファルの胸を撫でた。
「いや、そう言うことではなく。興奮する」
 真顔で言って、顔をそむけたサファルに、一瞬唖然とするラスリス。
「どうしようもならないバカね、サファルって」
 ラスリスはサファルの頭を引っぱたいた。
「いや、半分冗談じゃない。俺とお前が触れ合うと何かを呼び寄せている気がしてならない」
 サファルは言いながら髪をかきあげた。自分の胸に目を落とし、硬い宝石に指を滑らす。それからラスリスの狼が持って来た荷物を開けた。着替えを手早く済ませると、立ちあがって歩き始めた。慌ててラスリスも後を追いかける。
 しばらく歩きつづけ、ラスリスはサファルの背中に声をかけた。
「もう傷はいいの?」
「血は止まっている。ただ、体力が戻らない。寝てないせいだな」
 不機嫌そうな返事が戻ってきた。ラスリスは少し考えた後、再びサファルの背に声をかけた。
「ねね、ナイツの息のかかっていない町なら、そんなに遠くなくてもなんとなかるんじゃない?」
 サファルの歩みが止まった。
「あるのか」
「ナイツにギルドがあるように、盗賊には隠れ里があるの。流石にそこまではナイツも把握していないはず。大丈夫、一見は町や村だから。ここから一番近いのは――カンツだったかな」
 今度はラスリスが先だって歩き出した。
「近くにあるんだろうな」
「うん。ナイツの動向を調べるために、最近有名になりだした町だったかな。だからちょっと忘れてたんだけど」
 ラスリスはそう言って、夜空を見上げた。星の位置を見て、方向を割り出しているようだ。
「方向的に反対方向に来てたわけじゃないから、あと一時間ちょいで着くかな」
 星を頼りに歩き出すラスリス。サファルは顔色一つ変えずラスリスの後をついて歩く。しかし、多少うろたえているのか、自分の下唇を人差し指で触っている。

 カンツで宿を取るのは容易だった。盗賊ギルドそのものとも言える町だ、夜中の二時、三時と言えばまだ稼ぎ時であり、どこの店も賑わいを見せていた。
 ラスリスがギルドの証明書で宿を取り、その狭い部屋に落ちついた。
 ラスリスは部屋に入る早々、ブーツを脱いで足を洗う。走りつづけていたので、相当疲れたのだろう。どこに持っていたのか、お湯を張った桶にオイルを垂らしていた。オイルに含まれる香りが、優しく部屋に広がった。ラスリスは更に部屋の明かりを小さなランプ一つにし、部屋をとても落ちつくものに変えた。
 くつろぐラスリスに対し、サファルは落ちつかない様子で人差し指で下唇を触っていた。
「落ちつかないの?」
 ずっと状況を見ていたラスリスは、呟くように言った。それまで表情を一つも変えないサファルだったが、ふと目を細めて寂しそうな表情をとった。しかし、返した答えは「別に」だった。
 ラスリスは、サファルの前髪をかきあげ、顔をのぞきこんだ。
「うそつき。本当は怖かったくせに」
 ラスリスの言葉に、サファルの眉が寄った。泣きそうなその表情に、ラスリスは少し慌てた。
「男は痛みに弱いんだ……文句あるか」
 震えを感じられる口調。強がりが、更にサファル自身を追い込んでいるようだった。
 サファルはベッドの上に座りこんだかと思うと、そのまま横に体をし、目をつぶった。ラスリスはしばらくサファルを見つめていたが、小さな声で言った。
「ごめん」
「謝るな。俺が惨めになる」
 サファルは目も開けずに言った。触れると、傷をつけられそうなオーラを放つサファルに、ラスリスは戸惑った。
 しばらく右手を左手で握りしめていたラスリスだったが、意を決したように右手を伸ばした。
 サファルの目の前に座り、彼の胸倉を掴んで起す。ぼんやりと目を開けたサファルの高頭部を掴んで、自分の胸に押しつけた。
「何ダメダメになってるのよ! 何? 二十歳過ぎた男って、こんなに情けないのっ!」
 呆れたように怒鳴るラスリス。でも、行動は優しいものに思えた。最初は乱暴に扱っていたのだが、今は優しくサファルの髪をなでている。
 数分が過ぎた頃、サファルの手がラスリスの胸に伸びた。
「誘ってるのか?」
「ばっ! ばっかじゃない! 落ちこんでるみたいだからちょっとだけ慰めてあげただけよ」
 鼻息も荒く言い、サファルを乱暴に突き放す。
「そう言うな。どうせなら最後まで慰めろ」
 サファルはラスリスを強引に引き寄せた。ラスリスの腰の辺りにサファルの手が滑る。と、同時にラスリスのこめかみがブチリと音を立てた。
「私をなんだと思ってるのよー!」
 そう言って再び突き放そうとしたのだが。突き放そうとして触れた肩が、微かに震えていた。サファルはラスリスの背中と腰に手を回したまま、止まった。ラスリスは短くため息をつき、サファルの髪に指を絡めた。そして、そのままベッドに倒れこんだ。
「見てないから。泣くんなら泣いてよ。涙はシーツか枕が受け止めてくれるって」
 何度もサファルの髪を撫で、言うラスリスの声はとても優しかった。
 サファルの荒い息は次第にゆっくりになり、穏やかになった。だが、顔は上げず、体はラスリスに覆い被さったままだ。
「胸、気持ち良かった。ありがとう」
 サファルのやらしい言いまわしに、一瞬ムッとするが、その後の小さなお礼の言葉に、ラスリスの心は一段と優しくなった。ようやく顔を上げたサファルの頬に右手を添え、左手で頭を自分に近づけさせた。
 最初はただ重ねていた唇だったが、サファルは慰めを乞うようにラスリスの下唇に吸いついた。
「サファル、落ちついた?」
 ラスリスは微かに微笑み、言った。サファルは無表情のまま顔を横にそむけた。だが、その頬は微かに赤らんでいる。
 サファルはふと向き直り、ラスリスを見つめた。人差し指を伸ばし、ラスリスの胸の谷間を露にする。
「やらしい意味に取るなよ」
 サファルはラスリスを抱き起し、次いでシャツを脱いだ。
「悪い、脱いでもらえるか? 俺が脱がすと、無駄な傷を作られそうだ」
 ラスリスは目を細め、疑わしそうに見つめる。
「なんにもしない?」
「やろうと思えばできなくない、ってわかってるだろうが。それとも、無理矢理されるのが好きなのか?」
 サファルはそう言ってラスリスを睨んだ。ラスリスは背を向けると、着ていた服を脱いだ。そして、胸を押さえてサファルに向き直る。その瞬間に、待ちきれないとばかりにサファルに抱き寄せられた。
「んもう! なんなのよっ」
 拳を振り上げたラスリスに、サファルが言った。
「まて、落ちつけ。そう言う意味じゃない。見ろ」
 サファルの指は、胸を指していた。ラスリスとサファルの胸にある宝石が、淡いオレンジ色の光を放っていた。しかも、心音のように規則正しくついたり消えたりを繰り返す。
「気づかなかった。重ね合わせると、光の色が変わるのはなぜだ?」
 サファルはラスリスから離れ、ラスリスの胸に掌をつける。だが、その色は青だった。
「なんだろ? でも、なんかヤバそうな光り方だよね」
 ラスリスは、サファルの胸の石を指先で弾く。暗い赤い色が一瞬だけ浮かび上がった。
「街道で魔物が襲ってきたのは俺と触れあったのが原因だとは思うが、この石と石を重ねるとまた違ったことになりそうだな。だが、現時点で何も起きないのはなぜだ?」
 サファルはそう言ってラスリスを見上げた。ラスリスはシャツを着て、困ったように腕を組んで考え込んだ。
「偶然じゃないよね。この地に居ないはずの魔物に襲われたのは。けど、町とか人目がある場所に襲いに来ないのは、何か別の意味があるのかな」
「それは、ナイツギルドを襲ったところで、退治されるのがわかっていたからだろ」
 サファルはそう言って服を着た。ラスリスは、ベッド脇のデスクに置かれている水を二つのコップによそった。一つをサファルに渡す。
 ラスリスは水を一口飲んで言った。
「魔物って、基本的に本能で動くよね? もしも、その魔物の狙いが宝石だとして――」
「裏に、何かあるな」
 サファルはコップを空にして、後をそう続けた。
「もしくは、裏で手を引く者がいる。でなければ、俺と体を重ね合わせたこの時点で何かが飛び込んでいる可能性が高い。それとも、この村は対ナイツギルドの対策をしているのか?」
 サファルの言葉に、ラスリスは自分のこめかみを指でつつきながら答えた。
「確か……魔法感知防御結界が張られていたかな。魔法で村の位置を特定できないようにする結界と、あと村の中で魔法を使っても、それを悟られないようにする結界も。結構重要な村だから、いろんな結界が張ってあるのは確かかな」
「そうか。そうなると俺たちを見失ったとも考えられるが……」
 サファルは自分のあごに指を滑らせ、目を閉じた。
「もしくは、人ではない何かがコレを欲しがっている。人であれば、俺が一人になった時に宝石を斬り出せばいいだけの話しだ。俺の格好を見れば一発でナイツだと判る」
 ラスリスはベッドに倒れこみながら言った。
「そっかぁ、ナイツギルドで待ち構えておけば、必ず捕まるし、いくらでも調べつくものね。サファル、胸じゃなくて足揉んでよ」
 ラスリスはベッドの端に座ったサファルの膝の上に足を乗せた。サファルは無言でラスリスのふくらはぎを揉み始めた。
「あはっ、気持ちいーっ。フム、サファルくんにはマッサージ師の資格を授けよう! 存分に精進したまえっ」
 足をサファルに任せたまま、ラスリスはベッドの上で伸びをした。
「お坊ちゃまだぞ、俺は。家だと様付けだぞ」
 呟くサファルに、ラスリスは言った。
「家に帰ってないくせに――いったーい!」
 チクリと言葉で刺したラスリスのふくらはぎに、指を強く押しつけたのだ。
「うるさい、とにかく俺は自分が気持ちいいことしかしたくない!」
 そう言うが早いが、ラスリスの足を投げ出す。そして、するりと腰をラスリスの足の間に滑りこませた。
「ちょちょいっ! 懲りてないの? 懲りてないよねぇ?」
 焦りを言葉にするラスリス。すでにサファルの上半身は裸で、肉付きのいい肌が、露出の多いラスリスの肌に触れる。
「金をケチって二部屋取らなかったのが運の尽きだな」
 サファルは、始めて口元を緩めて笑った。だが、そんなことに気づくことなくラスリスは取りあえず抵抗を始めた。
 顔のすぐ横にある腕をどうすり抜けようか、目を左右に走らせる。右手は勝手にサファルに肩を押し返しており、左手はサファルの手を押しのけようと縮こまった。
「三日もがまんできない。無理」
 女性としてとても気に入らない単語を耳にしたせいか、ラスリスの目が細くなった。
「サファル。ほんっとうに怒らせたいの?」
「俺は好きなものはすべて自分のものにしたい」
「それで……口説いてるつもりなのが困る」
 ラスリスは肩の力を抜くと同時に息を吐いた。
「バカ。男ってバカ。前言撤回。全ての男がそうではない事を祈って――サファルってバカ。体力ないくせにそう言うことしないの。元気になって、完璧にナイツギルドと手が切れたら考えてあげる」
 ラスリスはサファルの鼻をツンとつつくと、体を押しのけた。
「元気は元気だぞ」
 横に転がされたサファルは、枕を抱きしめながら呟いた。その子供っぽい仕草に呆れつつ、ラスリスはサファルの喉元にナイフを突きつけた。
「一回死んでみる? 違う世界でもっとお気に入りな子見つかるかもよ」
「わかった、いい子にしてる。でも、どこにナイフを?」
 サファルは更にぎゅっと枕を抱きしめた。ラスリスはナイフの柄の先端に開いている穴に指を突っ込み、くるくると回しながら答えた。
「部屋に入った時に色々な所に置いておいたの。まぁ、盗賊街の常識だけどね。ルールを守らない盗賊がたまにいるからね。忍びこんで持っていっちゃったり――って、寝てるし」
 ラスリスはそう言って、ナイフの先をサファルの胸の中央に突きつけた。小さくカツン、と音がしてナイフが跳ね返った。
「心臓、これで守られるから、あながち呪いとは言いがたいかな。とりあえず私も寝よ寝よっ」
 ラスリスはナイフをしまうと、もう目をつぶって眠りについているサファルの頬をつついた。
「疲れてるんじゃない、やっぱり。お休み、お坊ちゃま」
 ラスリスは、サファルの腕の間から枕を抜き去り、自分の頭の下にした。開いた腕が寂しいのか、サファルの手がラスリスの体に巻きついてくる。
 ラスリスはサファルの腕を半分疎ましく、半分諦めてそのまま放置して眠りについた。




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