2 烙印 3


 どこをどう走っただろうか。ラスリスは暗い森の中に立ち尽くしていた。数度荒い息を吐き、木にもたれて座りこんだ。
 空を見上げると、幾億もの星が瞬いていた。ラスリスは息が落ちつくのを待ち、落ちついたところで深くため息をついた。
「なんなの、この罪悪感。あたしが悪いわけじゃないのに。って言うか、元々逃げる気だったし……」
 ラスリスは言いながらもため息をついた。ラスリスはしばらく夜空を見上げていた。しばらくして、目線を自分の指先にうつした。
 指を大きく反らせるように開く。指先、と言うより爪を見つめる。
「欠けてる……」
 ラウンド型に綺麗に整えられた爪。しかし左手の人差し指の爪が少し欠けている。
「縁起悪いなぁ……ナイツギルドって、どんな集団なのよ? 自分の組織の人間を捕らえるなんて。でも、この宝石って、本当に価値があるのかな」
 ラスリスは谷間をのぞきこんだ。そこにはサファルが触れた時のような光はなかった。しかし、何かが存在しているのは感じ取れていた。
 ラスリスはしばらく口を閉ざしたまま虚空を見つめた。
「わかってる、わかってるってば」
 そう呟きながら立ちあがり、お尻についた草を払う。
「でも、囚われのナイトを救いに行くって、随分と間抜けな話よね」
 ラスリスは言いながら丸い物を取りだした。半透明な球体の内側に、赤い点が見られる。
「って言うか、逃げる際に居所掴む前準備していたあたしもあたしだけどさ。あっ、後でお宝くすねようと思ってのことだからねっ」
 誰に言っているのか、一人呟くラスリス。そして、長い髪を一つにまとめ、更に巻いて髪留めで止めた。
 ラスリスが動くと、微妙に球体に浮かぶ赤い点の位置が変わる。どうやらサファルの居る方向を示してるようだ。

 時計は真夜中の二時を指していた。虫の鳴く声でさえ聞こえてこない。
 ラスリスはやたらと古びた館の前で仁王立ちしていた。さほど大きくない二階建ての館。苔がびっしりと生えているところを見ると、手入れされるほど重要な建物ではないのかもしれない。
 ラスリスは音もなく窓に忍びよった。中は閑散としており、人が出入りしている気配はなかった。
「おじゃましますよっと」
 ラスリスはナイフを取りだし、窓枠にそってナイフを滑らせた。
「ふむ、流石。サイレスのガラスカッターを買って良かった。急ぐ時、音まで気にしてガラス破ってられないもんね」
 満足気にナイフを見つめた後、しまいこんだ。取り外したガラスから手を突っ込んで鍵を開ける。窓を開け、ラスリスはそこから進入した。
「下? 地下室があるのかな」
 ラスリスは球体を見ながら呟いた。赤い点は、上のほうで点滅した後、下へ移動して消えた。その動きを何度も繰り返す。
 辺りを見まわし、ラスリスは直感で右方向に歩き出した。
 地下への入り口はすぐに見つかった。床に扉があり、その扉が開いていたからだ。
「罠っぽくもあるけどね。でも、助けが来てもらえる男じゃなかろーし」
 ラスリスは床に広がる真っ暗な入り口に顔を突っ込んだ。見張り一人居ないところを見ると、ナイツギルドの中に入りこむ者などいないと過信しているのかもしれない。
「ホント、見張りいないってどう言うこと? 本人が逃げる可能性がないってこと?」
 ラスリスは扉の前で腕組みをしていた。音をたてぬよう、ゆっくりとドアノブを回す。しかし開きはしなかった。
「鍵開けは盗賊の基本よん」
 ラスリスは髪留めを一つ外した。髪留めのパーツの一つを外して、鍵穴にさし入れた。しばらく真剣な顔で鍵穴をいじっていたラスリスだったが、その顔が明るくなった。
「開いちゃいましたよー」
 言いながらドアノブを回すと、今度は開いた。
「すでに死体になってなきゃ良いけど」
 更に地下へと降りてゆく。
「死体、一歩手前?」
 ラスリスは息を飲み、呟いた。
 サファルの両手は壁に設置された手錠につながれている。宝石の埋まっている胸部には太い針が突き刺さっている。医療用の物と思われるが、胸部に刺さっているとあって痛々しい。肌には宝石を中心に魔術文字が書きこまれており、術を施している最中なのかも知れない。
「血文字……サファル、触れても大丈夫?」
 ラスリスの囁きに、サファルの頭がかすかに動いた。何度かうめき、顔を上げた。
「触ったら痛い、とかある?」
「失敗した解術魔法だ、触れても意味はない……それよりも先に手錠を外してくれ。痛い」
 痛めつけられていると言うのに、何気に横柄な態度のサファル。ラスリスはむぅと頬を膨らませながら、手錠を外した。
「まさか、助けに来るとはな」
 倒れこむサファルを抱きとめ、ラスリスはその場に座りこんだ。そして、サファルの髪に指を絡ませる。
「髪にね、くっつけておいたの。追撃用のだから、なかなか取れないのよね」
「イデデデデデッ」
 ブチブチ、と少し嫌な音がしてサファルの髪から小さな球体が取れた。サファルは頭を抱え、目が不自然なほどに大きくなっていた。その目には微かに涙が溜まっている。
「あははっ、痛くても表情あんまり変わらないのねっ」
 ラスリスは、思ったより生気のあるサファルに安心したのか、笑った。サファルは胸に刺さっている針を抜いた。
「形上呪いを解こうとしていたようだが、実際は俺を殺す気だったな、シェラハ導師……」
 サファルはため息をつき、胸に書かれていた血文字をぬぐった。
「この宝石にどんな意味がある? 確かにサイズ的には大きいだろうが、家にはまだこのサイズの宝石ならごろごろ……はないぞ」
 ラスリスの輝く瞳に気づいたサファルは、言葉をそう切り換えた。
「一つぐらいプレゼントしてくれてもいいんじゃない? 助けてもらった礼に」
 ラスリスは近くに無造作に置かれていたサファルの洋服を渡した。
「俺が無事に家に戻れることがあったならばな。シェラハ導師は朝七時の礼拝で必ず説教をする。起きるのが六時だとして――俺の様子を五時ぐらいには見に来るな。俺の体力を計算すると……クソ、部屋に戻ることさえできないな」
 サファルは時間計算を適当にすると、ラスリスの手を引いて走り出した。
「ちょ、ちょっ!?」
 慌てるラスリスを無視して、サファルは走る。
「ナイツ連中から短時間でどれほど逃げれるかわからない。とにかく走るぞ。俺の空間移動は期待しないでくれ。実際のところ治癒魔法で魔力を使いきってるからな」
「最初から期待してないわよ」
 ラスリスはぶっきらぼうに答えると、先だって走り出した。
 進入経路の逆をたどり、館の外へと出る。
「いくらなんでも丸腰で逃げるのって危険じゃない? 寮に監視系列の魔法が張り巡らされているとかある? なければ取ってきてあげるけど」
 ラスリスの申し出に、サファルは答えた。
「ない。どれくらいで済む?」
「あのクローゼットに投げこんだ荷物を取ってくるくらいなら3分かな。三階でしょ?」
 サファルはうなずいた。
「しかし、三階に登るのに時間がかかるのでは?」
 サファルの問いに、ラスリスは腰の袋から筒を取り出して答えた。
「私が行くんじゃないの。彼が行くの。彼なら風だから窓だったら入りこめる。後は荷物を取って、内側から鍵を開けて戻って貰うだけ」
 ラスリスは筒に何かを伝えて開けた。筒から風が生まれ、吹きぬけて行った。
「私達は先に逃げましょっ――って言う前に逃げてるし!」
 ラスリスは思わず額に力が入るのを感じてしまった。




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