2 烙印 1


「それで、どうしても触りたいわけね?」
 ラスリスは、飯が終って落ちついた頃を見計らって伸びてきたサファルの手を叩き落とした。
「いや、胸の脂肪がすごく気に入ったんだ」
 ラスリスはサファルの言葉に、問答無用でスネに蹴りを入れた。顔をしかめて痛みを強調するサファル。
「もうちょっとまともな口説き文句はないの!?」
 怒りを露にし始めるラスリス。流石に何度も“脂肪”と言われては気分は良くない。
「本来は、口説く必要なんかないんだ。手カセでもさせて無理強いすることも出来なくはない」
 そう言って、サファルはラスリスをちらりと見やる。ラスリスは完全に怒っていた。サファルの次ぎの行動次第では、本気で逃げだす構えをとっていた。
「でも、それをしたら、俺のことは好きになってはもらえない」
 サファルはそう言って背を向けた。
「はぁっ?」
 ラスリスは思わず声が裏がえった。
「なに? もしかして、私にホレた? 冗談やめよーよ」
 乾いた笑いを発しながら、ラスリスはサファルの目をのぞきこんだ。
――なにっ!? この子犬のウルウル目は……と、友達いないから?
 少しパニックに陥りながら、ラスリスはサファルにどう話しかけて良いかさぐった。
「えーと、だって私は盗賊で、あなたはナイツで、あんまりいい関係じゃないよね? これから私はまぁ、ナイツのお偉いさんに引き渡されて、盗賊やめなさい、みたいな教育受けて、放置される――って感じよね?」
 ラスリスの言葉に、サファルは首を左右に振った。
「違う。呪われて保護したって報告してある。ラスリスには烙印押させたくない」
「烙印?」
「ん……魔術で体に刺青を入れるんだよ。普段は見えないけど、ナイツが調べたらすぐに前科が分かるようになってる」
 サファルは言いながらラスリスを上目使いで見た。だが、ラスリスと目線が合うと、顔を伏せた。
「それに、その烙印はある程度の範囲ならばどこにいるかわかってしまう。今回俺たちがあの場に居合わせたのは偶然じゃない」
 一瞬、間があった。それは重苦しく、耐え切れなくなってラスリスは問いたずねた。
「それって、もしかしてギルドの方にも裏切った、って思われちゃうわけ?」
 サファルはうなずいた。ラスリスは体から血の気が引いていくのを感じた。
 呆然としてベッドに座り込んだラスリスに、サファルは言った。
「でも、大丈夫――」
 サファルはそこまで言って、伸ばしかけた手を降ろした。ラスリスはうなだれるサファルに声をかけた。
「助けては……くれないよね」
 サファルは顔を伏せたまま、何も答えなかった。ラスリスは長いため息をつくと、言った。
「サファルだって、困るもんね。だって、自分の将来だってあるんだし」
「すまない」
 サファルはそれだけ言うと、立ち上がった。ラスリスは悲しそうに微笑んだ。
「気にしないで。でも、今日だけはベッド譲ってね」
 ラスリスはベッドにもぐりこむと、身を小さく縮めた。サファルは小さく「ああ」と答えると。床に座り込んだ。
「ちょっと待て。俺は床か?」
 サファルは小さく反抗したが、ラスリスは答えなかった。サファルは肩を落とすと、立ち上がってクローゼットから毛布を取り出すと、床に寝転がった。
 サファルは、しばらくぶつぶつと文句を言っていたが、ラスリスに
「眠れないじゃない。ホント、乙女の敵、お肌の敵よね、サファルって」
 と一喝され、黙って床に丸くなった。


 翌朝、早めに起こされ、ラスリスはサファルと共に司祭様と呼ばれる人物に会うことになった。
 サファルに連れられ、ナイツギルドの中庭を歩く。
 ふと辺りを見まわすと、真っ白な外観の建物があった。その建物の壁と屋根との間の細工が遠目で見ても細かく立派なものだった。その建物のすばらしさに、ラスリスはサファルの腕を引っ張った。
「あれって何?」
「聖堂だ。できたばかりで、まだ俺も行った事がない」
 サファルは言いながら足を聖堂に向けた。ラスリスは壁に這っている植物を指して言った。
「でも、もうあんなに葉っぱで覆われてるよ?」
「周りの景色からあまりにも浮くから、と言うことでわざわざ植物を急成長させたと聞いている。確かにあの聖堂は白すぎる」
 サファルはぶっきらぼうに説明をすると、足を早めた。
「そうなんだ……」
 ラスリスは聖堂だけでなく、完璧にまで作りこまれた庭にもただ関心するばかりだった。レンガで作られた花壇には様々な草花が植えられている。
 ナイツと思われる若者数名と、初老の男性が庭作りをしていた。
 そして、目の前に真っ白な聖堂が現れたとき、ラスリスの口からはため息がこぼれた。入り口の屋根を支える真っ白な柱には、立派な彫刻が施されていた。柱の上方に目を向けると天使が舞い降りた瞬間を封じ込めたような彫刻が待ち構えていた。
 しばらく見入っていると、サファルに腕をつかまれ、ラスリスは聖堂の中へと連れこまれた。
「ぐずぐずするな、司祭連中は忙しくて、なかなか時間を取ってもらえないんだ。俺が面会を許されたのも、奇跡みたいなもんだからな」
 サファルのいらついた声をうっとおしく思いながら、ラスリスは入り口から聖堂の中に目をやった。
「ほ、ほぇーっ」
 ラスリスは、驚きと感心が混ざったかのような声をあげた。
 聖堂の中はとても天井が高かった。そして、その天井はカラフルなガラスで風景が描かれており、太陽光を通して床に美しい彩色を施していた。
「す、すごいのね、ナイツギルドって」
 ラスリスはいささか興奮しながらサファルの腕をつかみ、引っ張る。
「どこが? まだここは玄関に値するところだぞ。それに、確かに作りは良いが、繊細さはない。急遽仕上げたものだからな」
 サファルはそう答え、聖堂内の時計を見上げて足を早めた。広い大勢が集まる大聖堂には足を踏み入れず、部屋の横の長い廊下を歩き出す。
 ラスリスは慌てて後を追いかける。
「ま、待った! サファルって、もしかしてお坊ちゃま?」
「世間的にはその分類に属するだろうな」
 サファルは少し顔を歪めて答えた。その表情を見て、ラスリスは慌てた。
「ご、ごめん。お坊ちゃまなんて呼ばれるの嫌だよね」
 少し足早だったサファルが立ち止まった。そして大きく息を吸い込んだ。
「別に、お前が金で物を見ていなければ嫌ではないが。そもそも、盗賊の分類に入るお前の方が俺のような人間を嫌いじゃないのか? 良くわからん、今までの話は終わりにしよう――ここが司祭様連中の書斎だ」
 サファルの指した前には、木製のドアがあった。サファルは、二度ノックをし、「失礼します」と声をかけてからドアを開けた。
 ドアの中は、書庫と言った方が正しいかのような部屋だった。壁は天井まで届く本棚で埋められ、天井からは中央の円卓に光が投げかけられている。その円卓の周りには数名の白いローブを羽織った者たちがいた。どう見てもナイツとは別格の存在のようだ。
「我々になにか用だと伺ったが?」
 白ローブの一人が、サファルに声をかけた。
「はい。以前提出させていただきました、“石と呪い”についてですが」
 サファルがそう答えると、円卓の奥に座っている初老の白ローブの男が顔をあげた。
「それについては私が聞こう。ここは少し騒がしい。奥で聞こうか」
 初老の男はそう言うと、本を持って立ち上がり、歩き出した。サファルはその跡をついて歩き出した。しかたなしにラスリスも歩き出す。
「ねねねね、あの人だれ?」
 ラスリスは、小声でサファルに問いたずねた。
「あれが、シェラハ導師だ。つまりはナイツギルドのトップ。創設者とも一部では言われているが」
 サファルは前を見たまま答えた。ラスリスはそれを聞くと、複雑そうな顔をした。
「お偉いさんかぁ……顔覚えられたらまずいなぁ」
 ラスリスは小声で呟くと、下を向いた。サファルは目を細めると、ラスリスの頭をくしゃりと撫でた。
「お偉いさんは、俺たちのような小物の顔なんて覚えてない」
 サファルの言いまわしに、ラスリスはムッとして見上げたが――その目に映ったのは、少し影のある表情だった。
「やっぱり、不器用……もうちょっと言葉を気をつけてくれてもなー」
 ラスリスは頬を膨らませ、再び黙って歩き始めた。サファルは数歩歩いた後、ポツリと呟いた。
「善処する」




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