1 呪い 2


   ラスリスは振りかえるよりも早く、岩場の壁面に跳躍していた。
 ド派手な音と土煙、水しぶきがあがって、ラスリスは青ざめた。
 それもそのはず、体長3メートルほどの巨大な物体。飛び散る破片と水しぶきでうまく視界に捕らえることはできない。ラスリスは二撃目が来るよりも早く、高く跳躍し、情報の岩壁を蹴って物体の背を飛び越えて木の上に飛び込んだ。
「ラスリス!」
 サファルの声が聞こえ、ラスリスは聞こえてきた方向を目で探した。
「こっちに来い。狭苦しいところじゃやりにくい」
 サファルは街道から声をあげていた。
「っていわれてもさぁ!」
 ラスリスは焦ったように答えた。
「俺が受け止めてやるから、さっさと来い!」
「受け止めるったってねぇ!」
「俺をその辺の男と一緒にするな」
「どう言う理屈よ!? もう! つーか踏み潰しちゃっても知らないからね!」
 ラスリスはそう怒鳴ると、木の枝を蹴ってサファルの方へと跳躍した。
 ズズッと、サファルが数歩下がりつつもラスリスをしっかりと抱き抱えていた。
「な、言ったろう。俺をその辺の男と一緒にするなって」
「ただ単に魔法使ってアタシの落下の勢いを落としただけじゃないの」
 ラスリスの言葉に、サファルは小さく舌打ちをした。
「ばれてたか。それよりも、逃げるぞ。俺の魔法じゃかなわない」
「わかってるわよ! あんなのあんた10人かかっても厳しいわよ」
 ラスリスは先に逃げ出していた。
「ひでぇ。俺3人でなんとかなる」
 サファルはラスリスの後を追いかけながらぼやいた。
「どうでもいいけど、この界隈であんなデカイ生き物いてもイイのっ!?」
「この辺では見ないな」
 そう言った後から、ドスドスと時々バキバキと音を立ててデカイ生き物がやってくる。
「あれは確か過去の魔物大百科と言うのに載ってたな。名前はダークジィフ。北方の生き物で、雪山の頂上付近とか、氷河大陸の方に生息しているはずだ。その強靭な前足は氷をも一撃で砕き、その息吹は身も凍ると言う」
「んなこと悠長に説明してくれなくていいからっ!! でも、なんで寒い地方にしかいないヤツがこんな所に?」
「知らない。それよりも……追いつかれたな、止まれ」
 サファルは言うが否や、ラスリスの腕を掴んで引き寄せるように引きとめた。
「いったいじゃない!!」
 文句を言って振りかえったラスリスの背後で、ドドーンと言う音と共にダークジィフが着地した。
「大きさから言っても、なかなかのジャンプ力だな、アイツ」
 サファルはあくまでも冷静に言った。
「あんた、少しはパニック起こしなさいよ」
 睨むラスリスに、サファルは剣を抜いて答えた。
「驚いているさ。ただ、昔から表情として出すのが苦手でね。見ろ、額に一応汗が浮いているだろう」
 サファルは自分の額を指差した。確かに、うっすらと汗が球を作っている。
「そんなのよく見なきゃわかんないじゃないのっ! で、アイツには炎が効くの?」
「そう思うのが妥当だが、毛が有るし、その毛もあまり燃えるものではなかったような気がする」
 前足を何度も蹴り、今にも突っ込んできそうなダークジィフを前に、ラスリスは硬直した。
「盗賊だろう、逃げる手立てを考えてはくれないのか」
 横目でチラリと見て、サファルは言った。
「森を音なく走る。でも、盗賊じゃないあなたには無理っぽいし。アタシも長く走れる気はしないわ」
 ラスリスは言いながら低く構えた。腰に手をやり、風の狼の入った筒を取り出す。
「便利だな、それ」
「そうでもないわよ。アタシを乗せて走ったりなんてできないんだから」
「なんだ、ちょっとした攻撃補助用の精霊か。お守り代わりにはいいだろうが――来るな」
 サファルは呟いて、横に跳んだ。ラスリスも逆側に跳ぶ。
 2人が居た所の地面が音を立ててえぐられた。
「町に戻ったほうが良くないっ!?」
「お前がモタモタ歩いたとはいえ、結構な距離を走るぞ。無理だ、すぐに追いつかれてしまう」
 サファルは立ちあがり、街道を走り出した。
「置いて逃げないでよっ。男としてサイテー!」
「なんとでも言え。俺は自分の保身のためならなんでもする」
「アタシを見殺しにして――ま、たぶん逃がしましたって言う言い訳でもするんだろうけど! それもまた名誉にキズが付くんじゃない?」
 逃げるサファルの背中が一瞬ピクリと動き、振り向いたかと思うと、ラスリスのところまでダッシュで戻ってきた。
 その速さに唖然とするラスリスを抱き上げ、走る。
「早い……アンタ、一生彼女できないわよ」
「なんとでも言え。俺の将来の目標はあのドーファだ」
 サラリと言ってのけるサファルに、ラスリスは一瞬考えたが、ポツリと言った。
「あの人、薬指には指輪してたわよ。あのごつくて不釣り合いな指によ」
 サファルの左頬がピクリと動いた。どうやらサファルは気づかなかった真実らしい。
「あんな人でも結婚できたんだ、俺だって一回や二回や十回……」
「二回目以降は名誉に傷つくわよ」
 ラスリスに言われ、サファルは「ぐぬ」と小さく息を詰まらせると、無言で走った。
 


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