3 鑑定 3


 暗い森を、二つの乱れた息が走りぬけた。
「なんか……最近、走ってばっかり!」
 ラスリスはそう言って足を止めた。サファルはその数歩先を走ってから止まり、振り返ると大きく息をついた。
「そんなに重要なものなのか?」
 ラスリスは水を口に含むと、唇を拭ってから言った。
「じゃない? 歴史的にどうかは知らないけど。あの本、もうちょっと詳しく調べられれば良かったんだけど」
「これのことか?」
 サファルの手の上で、古書が浮いていた。古書を見つめるラスリスの目が大きくなった。
「それっ!」
 ラスリスは指を思いっきりつき付けていた。その指先は微かに震えていた。
「無論いただいておいた。唯一の手がかりだからな」
「確かにそうだけど……そんな乱暴に扱っても大丈夫?」
 本が五百年も昔のものだと紙が風化して崩れ去ってしまう。ラスリスはそれを心配しているのだろう。
「シールド魔法を強化しておいた。元々シールドされているものだが、時々その魔法が弱まる。そのたびに魔法を強化してきたみたいだぞ。そうやってこの本は何百年も遺されてきたようだ」
 サファルはそう言って、空中で本を開いた。 
「そもそも人の手で開くべきものじゃないんだよ、これは。あそこにあるより、俺が保管するのが正当だ」
 よく分からない理屈を言うサファルをラスリスは無視して本を覗きこんだ。だが、本を覗きこむ表情が次第に険しくなり、最後には首を傾げて唸り始めた。
「古代文字だ。とは言えそんな昔じゃない。ちょっと分かりにくく書いてあるだけだ。だからあの男でも楽に読めた」
 サファルは言いながら露出している木の根に腰かけた。一度本を閉じさせ、そして表紙を開いた。
「エルフの女長、ルシャスが後世に生きる人間に記す。これが頭書きだ。エルフが人間に向けて書くなんてほとんどないな。それに、紙に書く事もしないはず」
 サファルはパラパラと本をめくってゆく。ラスリスは眉間に寄ったシワを指先で揉みほぐしながら問いかけた。
「えっと。なんで?」
 サファルはため息をついた。それが何を示しているのか悟ったのか、ラスリスは再び眉間にシワを寄せた。
「紙は安上がりだが風化して朽ちるのが早い。エルフは自分の寿命よりも短いものに書き記さない。石碑にしたり、最近では水晶などの宝石に……」
 サファルはそこまで言って言葉を切った。ラスリスは「確かにねぇ……」と呟き、サファルに向き直った。サファルは軽くうなずいた。
「だが、わざわざ人の体に寄生させる事はしないな」
 サファルの言葉に、これまたうなずくしかできないラスリス。再びラスリスは本を覗きこんで言った。
「ちなみに、どんな内容? 何かヒントになる事書いてないの?」
 サファルはしばらく本に目を通していたが、首を左右に振って答えた。
「どう考えても物語、だな。大きな鱗の生き物の戦争が起こった――それが書き出し。結構長く続いたみたいだな。それから……寝るなよ」
 大あくびをし、更に地面に布を引いてその上に横になるラスリスを見て、サファルは思わず突っ込みの言葉を投げかけていた。
 ラスリスは本の厚さを指先で測って言った。
「読み終わったら起してよ。私ちょっと読書は苦手……」
「おまえ……」
 一気に不機嫌になるサファル。ラスリスは寝返りを打って言った。
「だって、私にはその本読めないし」
 正論を言ったラスリスに、サファルは獣のように唸っていた。だが、諦めたのかページをめくった。


 暗かった森に、徐々に光が差し込んできた。木々を割って差し込む光の一つがラスリスの顔を照らす。そのまぶしさに目を覚ましたのか、ラスリスは寝返りを打って光を避けた。
 伸びをしながら目を開けると、サファルの足が目に入った。そのまま目線を上にずらすと、目が半分程しか開いていない無愛想な顔があった。空に浮かんでいる本を見ると、どうやら三分の二は読み終えた様子。
 ラスリスはサファルの顔を覗きこんで言った。
「何か分かった?」
 サファルは本の間に葉を一枚挟んだ。そして、本を閉じて手元に戻した。
「まあな。昔人間の存在意義を巡ってデカイ生き物同士で言い争いがあったそうだ。エルフはそれを自分達と似た種族だったから生かす方に、と言うかまぁどうでも良かったんだろうな。とりあえず中立の立場にいて、巨大生物の戦争の行方を見守ったわけだ」
 サファルは立ちあがると歩き始めた。ラスリスは慌てて荷物をまとめて後に従う。
「ところで巨大生物って?」
 ラスリスの問いかけに、サファルは振り向きもせずに答えた。
「そうだな、鱗のついた巨大生物と言えば、ドラゴンなんだが。まぁ、滅多に拝めるものじゃないよな。ただのエルフの名を語った本なのか。信憑性は半分と言ったところだ」
 ただまっすぐ歩くサファルの横に並び、ラスリスは言った。
「どこに向かってるの?」
 サファルは言葉を無視してしばらく歩いた後に答えた。
「知らん」
「迷子?」
 ラスリスの冷ややかな言葉にサファルのため息が聞こえた。
「その通りだ」
 そう答えて再び歩き始める。そんなサファルを口を開けたままラスリスは見つめた。
「道を聞けないのって、男のプライドなのかな? チィちゃんがそんなことを言ってたっけ」
 ラスリスは木の枝を拾ってサファルの背中をつついた。サファルは「なんだ」の不機嫌そうな声と共に振り返った。ラスリスは左を指差した。
「一番近い町はあっち。そっち行くと沼地になるから危険だよ」
 サファルは腕を組み、ラスリスに一瞥した。
「だが、町に行っても平気なのか? ナイツの息がかかっているか、盗賊の住み家だろうが」
 いらついた、少し刺のある声でサファルは言った。
「たぶん私はね。化けれるから」
 ラスリスは笑みをこぼすと、降ろしていた髪を二つに別けて三つ編みにした。赤の強かったルージュを拭い、ピンクっぽい色に変えた。更にベージュの布を一枚取り出して体にかけた。
「田舎くさいな」
 ラスリスは不満気に言うサファルの額をペシリと叩いた。
「その田舎娘に手を出すな。文句言いながらもーっ」
 サファルの手はラスリスの背後から服の中に滑りこんでいた。
「少しぐらいいいだろ……眠い」
「んでぇっ!!」
 ラスリスはかわいくない悲鳴を上げながらサファルに押し倒された。背中からはスースーと寝息が聞こえる。
「人の体を抱き枕にしないでよ」
 ラスリスは両肘をついてため息をついた。そして、サファルの手を解いて下から抜け出した。服についた草を叩き落とすと、改めてサファルを見た。
「無愛想さえなんとかすれば可愛いのに」
   そう言ったラスリスの表情がニヤリとした。腰のカバンから何かを取り出し、サファルの髪につけてゆく。
「えへっ、ちょっとワイルドかも」
 ラスリスの目の前では、髪をツンツンと立てたサファルがいた。
「どうせ同じ目つきが悪いんだったら、髪型も揃えた方がいいもんねー」
 ラスリスは楽しそうに言うと、近くの茂みへと入って行った。




[PR]動画